[ad#ad2]
◆管見医学論とは
格好つけたタイトルですが、たいしたことは言ってません。管見とは、
1 狭い見識。視野の狭い考え方。
2 自分の知識・見解・意見をへりくだっていう語。
(goo辞書;デジタル大辞泉)
という意味です。要はわたしの医学観ということです。私の勝手な考えですので、時間があればお読みください(笑)
◆医療とはなにか
今日の医学教育の基礎を築いたといわれる医師ウィリアム・オスラーは「The practice of medicine is an art, based on science.(医療はサイエンスに支えられたアートである)」と言いました。
非常に箴言(教訓の意味をもつ短い言葉)ですよね。サイエンスにも、アートにも偏向しすぎてはいけないということです。どちらも大切なんですね。
◆サイエンスとアートとはなにか?
医療の現場にいると、サイエンスやアートと言われても、曖昧でよくわかりませんよね。シンプルにまとめる以下のようになります。
医療者はサイエンスとアートを混同してはいけません。混同すると、事故(事件)につながります。
有名なのが、「山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故」でしょう。ホメオパシーを信じていた助産師がホメオパシーの理論をもとにして、新生児を死に追いやってしまった哀しい事件です。
私は似非科学といわれる代替医療もプラセボ効果などを考慮すれば、不必要とはいえないと思っています。モノは使いようだと思うのです。
しかし、プラセボ効果であるということを忘れて、それが万能の治療のように勘違いしてしまう、先述したサイエンスとアートを混同すると、このような事件に繋がってしまうのです。
医療者は、サイエンスとアートを混同してはいけませんね。
◆エビデンスとはなにか
現在の医療はEBM(根拠にもとづく医療)が主流になっています。EBMについては『EBM(根拠に基づく医療)とは~初学者のための超基礎知識~』を参考にしてください。
私としては、短絡的にエビデンス=統計的根拠というのはあまり好きではありません。私はエビデンスを考えるさいに「3つの知」があると思っています。
◆医療の三知とは
医療の三知とは、科学の知・臨床の知・架橋の知です。
①科学の知
科学の知というのは、生理学や生化学、化学、生物学などの理学(自然科学)のことです。19世紀の生理学者クロード・ベルナールが唱えていた実験医学的な考えといえます。一部引用し、紹介します。
科学的医学は生理学の基礎の上に建設されなければならない。(P14)
実験によって自然現象をその存在条件または近接原因に結び付けることにある。(中略)すべての科学を通じて絶対に定まっているデテルミニスム(筆者注:因果関係のような意味合い)はただ一つあるのみである。あらゆる現象は物理化学的条件に必然的に従属しているものであって、学者はこの条件を変更することにより、その現象を支配することができるからである。(P104)
まあ、ベルナールがいうデテルミニスム(絶対的因果関係)は、ハンス・セリエがストレスという概念を発見したことにより、崩壊してしまいます。しかし、彼の医学観は非常に勉強になるので、一読されてはどうかなと思います。
②臨床の知
臨床の知とは、現場の知恵のことであり、経験的エビデンスといえます。中村雄二郎さんの「臨床の知とは何か」にはこうあります。
科学の知は、抽象的な普遍性によって、分析的に因果律に従う現実にかかわり、それを操作的に対象化するが、それに対して、臨床の知は、個々の場合や場所を重視して深層の現実にかかわり、世界や他者がわれわれに示す隠された意味を相互行為のうちに読み取り、捉える働きをする、と。(P135)
難しいですけど、相手の気持ちをくみ取りながら、ケースバイケースで関わっていく行為のことだと思います(私は勝手にそう解釈しました笑)。
③架橋の知
架橋の知とは、上記の科学の知と臨床の知を結びつけるものであり、統計的エビデンスといえます。
簡単にイラスト化すると、以下のようになります。科学と臨床を橋渡ししている。ここから架橋の知と名付けました。
◆3つのエビデンス
上記でも少し触れましたが、科学の知・臨床の知・架橋の知には、それぞれのエビデンス(根拠)があると思っています。
・科学の知=理学(自然科学)的エビデンス
・臨床の知=経験的エビデンス
・架橋の知=統計的エビデンス
たとえば、生理学的には○○をすると△△になるという理学的エビデンスがあり、これは□□をしながらすると効果が出やすいという経験的エビデンスがあり、それらを論文やデータが証明する統計的エビデンスがあるのような考え方です。
これらを上手に統合し、仮説・実践・検証をできるのが大切ではないかと思います。
◆理学的エビデンスを主軸にする
私は、この3つのエビデンスの中で最も大切なのは理学的エビデンスであると思っています。まあ、ほぼ同じくらいで経験的エビデンスも大切だと思っています。
現代医学の主流である統計的エビデンスは少し重要度が低くなっています。理由は、いまの統計的エビデンスは過渡期にあるからなんですよね。統計分析も曖昧なところがありますし、ウソの論文をチェックする機関も不十分です。
また、利益相反という面も否めません。エビデンスの最高レベルであるRCTが資金を提供してくれるところによって、結果が変わってしまうという報告もあります(3)。
もろもろを考慮すると、理学的エビデンスと経験的エビデンスの補助として統計的エビデンスを使用するのがいいのではないかと思っています。
◆理学的エビデンスだけに頼るのもダメ
しかし、だからといって理学的エビデンスだけに頼るのはよろしくないです。理学的エビデンスの脆弱性については、以下のように歴史が証明しています。
文献(4)より引用改編
理学的エビデンスを主軸にバランスよく統合することが大切なのだと思います。
※追記(2018/4/10)
ちょっと恥ずかしいような記載もあります。。。最近はまた考えが変わってきています(笑)この時期はこんなことを考えていたくらいに受け取ってもらえるとありがたいです(^^
【資料】
(1)実験医学序説、クロード・ベルナール著、岩波文庫、1938
(2)臨床の知とは何か、中村雄二郎、岩波新書、1992
(3)Financial conflicts of interest and reporting bias regarding the association between sugar-sweetened beverages and weight gain: a systematic review of systematic reviews.[PMID:24391479]
(4)医学的根拠とは何か、津田敏秀、岩波新書、2013
[ad#ad3]