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◆実存は本質に先立つ
哲学者サルトルの有名な言葉に、「実存は本質に先立つ」というのがあります。実存とは「現実存在」の略称です。これだけだとよくわからないですよね。
意味合いとしては、以下のようにいえると思います。
実存=「そこに在る(存在している)」
本質=「そのものの存在理由・条件」
例えば、ここに紙が1枚あったとします。これをきれいに2つに分けてくださいと言われたら、ハサミが必要になってきますよね。だから、ハサミが作られるわけです。
ハサミが先にあって、それを利用するということはありませんよね。紙を切りたいという理由があって、ハサミは作られるわけです。この理由が本質であり、ハサミが存在というわけです。
しかし、人間の場合は事情が変わってきます。人間は存在の理由や条件がなくても生まれてきます。つまり、ハサミの時とは違って、人間の存在(=実存)が先にあるわけです。
だから、人間は生まれた後に、本質を作りあげていかないといけないのです。つまり、自分自身で存在している理由を作らないといけないのです。これをサルトルは、「実存は本質に先立つ」という言葉で表現したのです。
◆決定論(原因論)とは?
さて、人間は自分自身で本質(存在している理由)を作らないといけないことがわかりました。では、どうやって作っていけばいいのか?
これに答えてくれているのが、心理学者のアドラーです。アドラーは「決定論(原因論)」と「目的論」ということを提唱しました。
決定論とはなにか?少し引用して紹介します。
われわれの現在、そして未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものである
『嫌われる勇気』
つまり、今の現象(状況)を過去のせいにしているのが、決定論なわけです。いまの貧乏な生活をしているのは、実家が貧乏で教育を受けられなかったからとか、引きこもりになったのはいじめのトラウマのせいだとか。これらはすべて決定論です。
しかし、これはおかしいですよね。実家が貧乏でも、しっかりと仕事をして、お金持ちになっている人もいます。いじめられていた人が、全員引きこもりになっているわけではないです。
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◆目的論とは?
そこで、アドラーは目的論を提唱します。目的論とは、人がとる行動は、その人がもっている目的や目標にしたがった結果だと考える立場のことです。
今の状況を、決定論では過去の原因などに結びつけるのにたいして、目的論は自分の目標・目的に結びつけて考えるわけです。
たとえば、外に出たくないという目標を達成するために、いじめという過去の出来事を持ち出しているにすぎないと考えるわけです。
しかし、これは自分の人生を生きているというより、過去の出来事によって生かされているのと同じなのではないでしょうか。
自分の人生は、自分で生きていったほうがいいと思うのです。
たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし、大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。
われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
『嫌われる勇気』
◆目的と目標は違う
アドラーは「自分の目的に沿って人間は生きている」といいました。つまり、まずは目的をしっかりと定めることが大切なのです。これがぶれると、どう生きていいのかわからくなる「人生の危機」に陥ったり、うまくいかないことを過去のせいにしてしまったりします。
ところで「目的」に似た言葉に、「目標」というのがあります。これらをきちんと区別しておかないと、あまりよろしくありません。
目的とは大きな方向性であり、目標とは目的を達成していくための目安(段階)といえます。目的には終わりがありません。目標には終わりがあります。
たとえば、医者になるや教師になるというのは、目的ではなく目標です。大学に入学するというのも、目的ではなく目標です。これらをはき違えてしまうと、大学入学したとたんに、燃え尽き症候群のようになってしまいます。
自分の目的がなんなのか、それが独りよがりなものになっていないか。それらを把握して、目的を定めていくのが大切なのかもしれません。
【資料】
(1)哲学者用語図鑑、田中正人、プレジデント社、2015
(2)嫌われる勇気、岸見一郎・古賀史健、ダイヤモンド社、2013
(3)私が一番受けたいココロの授業、比田井和孝・比田井美恵、ごま書房、2008
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