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シンパシーからエンパシーのコミュニケーションへ

忙しい人のための要約
感情を中心にコミュニケーションをするのがシンパシー、推測を中心にコミュニケーションをするのがエンパシーです。シンパシーでは、選択肢や視野が狭まってしまいます。感情も推察のひとつの材料にすぎず、エンパシー的コミュニケーションを実践してみてはいかがでしょうか。

 

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目次

◆シンパシーとエンパシーの意味

まずはシンパシーとエンパシーの意味を調べてみます。

 

【シンパシー】

同情。また、共感。共鳴。

 

【エンパシー】

感情移入。人の気持ちを思いやること。

(goo辞書)

 

これだけだと少し違いがわかりにくいですよね。説明しながら話をすすめていきましょう。

 

 

◆シンパシーは無礼なコミュニケーション

シンパシーというのは、自分の気持ちをそのまま相手に反映させるということですね。

 

つまり、自分と相手は、同じ気持ちを抱いていることを前提にしているということです。

 

たとえば、自分が悲しいと思うことは相手も悲しいと思うし、自分が嬉しいと思うことは相手も嬉しいと思うだろうということです。

 

これはキリストや孔子もそうであると考えていました。

※このことについては、『人の気持ちはわからないという謙虚さが大切』で書いています。

 

しかし、これっておかしな話ですよね。

 

生まれも育ちも、教育も、恋愛も、生活習慣もちがうのに、どうして自分の気持ちと相手の気持ちが同じになるんでしょうか?

 

自分が感じたことを相手も感じていると考えるのは、相手の人間性を冒涜するものであり、非常に無礼なことだと思います。

 

 

◆エンパシー的思考は推論する

たいしてエンパシーは、自分と相手は異なる気持ちをもっていることを前提にしています。

 

たとえば、友だちの悪口を言っている子どもがいたとしましょう。

 

学校の先生が「友だちの気持ちを考えなさい。自分が悪口をいわれたら、どう思いますか?」と指導します。

 

シンパシー的思考では、

 

悪口を言われる

→自分は傷つく

→だから、相手も傷つく

→謝罪などの対処

 

と考えます。シンパシーでは、「自分と相手の気持ちは同じ」「相手の気持ちはわかることが前提」といえます。

 

では、エンパシー的思考ではどうなるか?

 

悪口を言われる

→自分は傷つく

→相手がどう感じたかはわからない

→相手の気持ちを推測する

→謝罪などの対処

 

となります。エンパシーでは、「自分と相手の気持ちは同じではない」「自分の気持ちはわからないことが前提」になります。

 

 

 

そして、エンパシーとシンパシーのもっとも大きなちがいは、結論までの過程において、推測(論理的思考)がはいってくることです。

 

推測とは、現在までにわかっていることをもとにして、他人の心情や事情などをおしはかることです。

 

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◆情と理のコミュニケーション

シンパシーとエンパシーは、情のコミュニケーションと理のコミュニケーションと言い換えることができます。

 

情のコミュニケーションであるシンパシーでは、「悪口を言われる→自分が悲しい→相手も悲しいだろう」という流れになります。

 

このなかに、推測(論理的思考)はありません。すべてが感情で動いています。

 

シンパシーは、情に流されたコミュニケーションなのです。情に流されたコミュニケーションは、対処の選択肢が少なくなり、視野も狭くなります。

 

医師である岩田健太郎さんは、著書『「患者様」が医療を壊す』のなかで、安易な共感(シンパシー的コミュニケーション)を批判しています。以下、引用します。

 

「先生、とても苦しいんです」「そうでしょう、分かりますよう」「先生に私の何が分かるって言うんです!」そう、分かったふりしちゃ、だめなんだよ。

僕らは初対面の時、患者さんのことを何も分かっていません。何回か会ったからといって、それで分かるわけでもありません。患者さんのことをきちんと理解するためには時間をかけて何度も患者さんに会って、それでだんだんに患者さんのことを理解していくのです。

『「患者様」が医療を壊す』P70

 

たいして、理のコミュニケーションであるエンパシーでは、「悪口をいわれる→自分は悲しい→相手の気持ちはわからない→相手の気持ちを推察する→○○だろう」という流れになります。

 

エンパシーでは、自分の気持ちは、相手の気持ちを判断するための材料のひとつにすぎません。また、推測を深めることで、対処の選択肢は増えますし、視野も広がりますよね。

 

エンパシーでは、「判断材料に情しかない」から「情もある」という状態になるわけですね。

 

 

◆エンパシーは冷たいコミュニケーションではない

論理的思考や理のコミュニケーションなどというと、冷たいイメージをもつ人もいるかもしれません。

 

しかし、エンパシーはけっして冷たいコミュニケーションではありません。感情を排しているわけではないからです。自分の気持ちも、相手の気持ちを判断するための材料になっています。

 

どちらかと言えば、自分と相手が同じであるというシンパシー的コミュニケーションのほうが、相手の人格を無視した冷たいコミュニケーションと言えるでしょう。

 

シンパシーからエンパシーへ、コミュニケーションを変化させてみるのはいかがでしょうか?

 

【資料】

(1)不都合な相手と話す技術、北川達夫、東洋経済新報社、2010

(2)「患者様」が医療を壊す、岩田健太郎、新潮社、2011

 

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