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◆性利説
人の本性は悪である性悪説、人の本性は善でも悪でもないという性善説や白紙説。
いろいろとありますが、私は性利説というのを考えています。性快説といってもいいでしょう。人の本性は、利益(快楽)を求めるものだということです。
◆ベンサム~快楽計算~
哲学者ジェレミ・ベンサムも、人間は快楽を求めて、苦痛を避けるものだと考えていました。
ベンサムは快楽を快楽の強さ、快楽の持続性、快楽の確実性などの要素から計算しました。これを快楽計算といいます。
資料(1)参照作成
たとえばサラリーマン、バンド歌手、大家族の貧乏母さんの快楽指数を計算してみると上のイラストのようになります(もちろん、これは例であって、実際は人によって異なります)。
快楽計算によって求められた点数を快楽指数といいます。
◆最大多数の最大幸福
資料(1)参照作成
ベンサムは快楽指数が高い人(快楽の総量)が多い社会ほど幸福であると考えました。
これを表現したのが、有名な『最大多数の最大幸福』という言葉です。
もちろん、個人単位でみれば、不利益を被るような政策でも受け入れないといけないというデメリットもあります。これが正しいというわけではありません。
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◆ミルの質的功利主義
功利主義者であり、自由ということを擁護したのが哲学者のジョン・スチュアート・ミルです。
ミルは快楽の量のみではなく、快楽の質について重視しました(質的功利主義)。
資料(1)参照作成
上のイラストを見てください。
ベンサムの快楽計算のよれば、ひとりで豪勢な食事をするのも、読書で知識が増えるのも、妊婦さんに席を譲るのも個人が感じる快楽量としては同じと考えます。
ミルはこれに疑問をもったわけです。ミルは肉体的快楽よりも、精神的快楽のほうが高尚(快楽として質が高いもの)であると考えました。
これを『満足した豚であるより、不満足な人間であるほうが良い。同じく、満足した愚か者であるより、不満足なソクラテスであるほうが良い』という言葉で表現しました。
◆幸福に生きるために善をなす
今までは幸福に対する哲学者たちの考えを見てきました。では、実際の生活ではどのようにすれば、どんなことをすれば幸福になれるのか?
結論から言えば、ミルが提唱するように、質的快楽が高いことを実践していくのが大切なようです。
1日に5回いいことをした人(1日1善ならぬ1日5善)は、なにもしなった人よりも幸福度が高くなったそうです(4)。
これは脳科学的にも示唆されていて、寄付をすると、脳の快楽中枢(側坐核)が活発になったという報告もあります(5)。
お金をもらった時に、同じ脳の領域が活発化していました。つまり、慈善行為といった、他人に対してなにかをするという行為は、誰かからお金をもらうのと同じように快楽を感じるんですね。
もちろん、これが当てはまらない人もいるでしょう。守銭奴にとっては、寄付なんてものは不快以外のなにものでもありません。
自分にとっての快楽とは何なのか、考えてみるもいいかもしれませんね。
【資料】
(1)哲学用語図鑑、田中正人、プレジデント社、2015
(2)面白いほどよくわかる!哲学の本、秦野勝、西東社、2012
(3)世の中がわかる「○○主義」の基礎知識、吉岡友治、PHP新書、2007
(4)科学的に元気になる方法集めました、堀田秀吾、文響社、2017
(5)Neural responses to taxation and voluntary giving reveal motives for charitable donations.[PMID:17569866]
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