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脱専門家のすすめ~狭い視野にとらわれないために~

忙しい人のための要約
専門家にはホンモノとニセモノがいます。ニセモノの専門家の特徴は、小難しい言葉を並べたり、自己満足に陥っている、全体の一部しか見えていないなどが挙げられます。専門家はいざというときに役に立ちません。自惚れは滑稽です。ニセモノの専門家にならないよう注意しましょう。

 

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目次

◆リットマンの法則~専門家は役立たず~

自殺研究の世界には「リットマンの法則」というのがあります。

 

自殺を考えている人にたいしては、専門家のアドバイスよりも、素人(ボランティア)のアドバイスのほうが自殺防止効果が高いということをいいます。

 

これはアメリカの精神科医であるリットマンさんが、「危機が強ければ強いほど、専門的なケアを必要としない」と発言したことからついたそうです。

 

拡大解釈すれば、リットマンの法則とは「専門家はいざというときに役にたたない」ことだといえそうです。最近では、築地の豊洲移転がこれにあたりそうですね。専門家委員会とかつくっても、話は一向にまとまりません。専門家なんてのは、いざというときに役にたたないのです。

 

 

◆ニセモノとホンモノ

そう言ってもすべての専門家が不要だということではありません。私は専門家にはホンモノの専門家とニセモノの専門家がいると思っています。専門性を全体の一部としてとらえているのがホンモノ、一部を全体にとらえているのがニセモノです。

 

 

たとえば、ここにサイコロがあったとします。ホンモノの専門家はこれはサイコロだと認知できます。しかし、ニセモノの専門家はサイコロの一部に執着し、周囲が見えていません。これがサイコロだということ自体に気づけないのです。

 

自分の専門性を堀りさげすぎて、自分が穴の底にいることを忘れ、周囲が見えなくってしまっているのもニセモノの特徴ですね。専門性なんていうのは、社会に還元されてはじめて役にたつものなんです。自己満足で、社会から切り離して専門性を追求するなんていうのは滑稽です。

 

もちろん、自己満足が悪いといってるわけではありません。自己満足がないものに熱意をそそぐことなどできません。自分が満足できないことを他人に提供するというのは、自己欺瞞です。

 

大切なのは、独りよがりにならない、もっといえば社会性を無視してはいけないということだと思います。さきほども言ったとおり、専門性は社会に還元されて役立つのですから。ひとりで楽しむより、みんなで楽しむほうがいいじゃないですか。

 

 

◆上から目線は独裁者

専門家のなかには上から目線でアドバイスをあたえて、相手から尊敬されることに無上の喜びを感じる人もいます。こんなのは専門家ではありません。たんなる歪な自己肯定です。そもそも人としても低劣だと思いますので、こういう人には近寄らないのが賢明です。

 

石原武政さんは、著書『「論理的思考」のすすめ』のなかで以下のように述べています。

 

わが身を安定した高台におきながら、現場に向かって激しく高圧的な言葉をもって叱咤激励する。それは独裁者に与えられた権限だとしても、決して研究者や専門家に与えられた権限ではない。

「論理的思考」のすすめ』

 

私もおなじように思います。上から目線は、専門家がすることではありません。自分を独裁者だと勘違いした哀れな末路の発露なんです。

 

 

◆専門用語を使うニセモノ専門家

世の中の専門家には小難しい専門用語を使う人がいます。

 

これは完全なニセモノ専門家ですね。むずかしい言葉を使い、相手を煙にまくことに喜びを感じているのでしょう。さきほども言いましたが、専門性は社会に還元されてなんぼです。もっといえば、どんなことでも相手に伝わなければなんの意味もありません。

 

別に伝わらなくてもいい、それは相手の理解力が乏しいからだと考える人もいます。こんなのは専門家ではなく、他人に対する思いやりも愛情もないつまらない人です。

 

これからの時代は、シロウトでもわかるように説明できる国語能力をもつことがホンモノの専門家の条件です(参照:コミュニケーションの極意~専門用語を使うなってホント?~)。

 

 

◆理解できていない専門家

パオロ・マッツァリーノさんの著書『つっこみ力』より引用します。

 

昔からよく、職人は自分の道具箱の中身を他人に見せないといわれてます。それは一般には、道具には各自の工夫がこらしてあって、その技を盗まれないようにするためだと解釈されていますが、小関智弘さんは長年の職人としての経験からそれに異を唱えます。

隠しているのは優れた技ではなくて、技の貧しさだというんですね。下手くそな職人ほど、手前の腕を見破られるのをおそれて道具を隠すんです。

『つっこみ力』

 

専門家が小難しい言葉をならべているというのは、じつは理解できていないことの裏返しなのかもしれません。

 

自分が理解できていないことを、他人に伝えることなんてできませんよね。理解できていないことを察知されないために、小難しい言葉で体面をみつくろっているのではないでしょうか。恥ずかしいことですね。

 

 

◆専門家の予測は当たらない

専門家といえば予測ができることを思い浮かべる人が多いと思います。「○○の可能性がある」とか「△△になることはないでしょう」とか。

 

しかし、ダン・ガードナーさんによれば、専門家の予測はあてにならないとのことです。

 

ダンさんによると、予測があたらない理由として考えられるのは「複雑すぎる世界」「バイアス(思い込み)が生じやすい脳のシステム」のためだそうです。

 

つまり、『予測できない世界を、間違いを起こしやすい脳を使って予測すれば、失敗を重ねて当然だろう』とのこと。

 

とある論文によれば、理論やデータを用いない一般人のあてずっぽうの予測のほうが、いい結果を出すことさえあるそうです。なんとも皮肉なものですね。

 

 

◆脱ニセモノ専門家のすすめ

タイトルは誇張して脱専門家にしましたが、正確に言えば脱ニセモノ専門家です。ニセモノの専門家から脱しましょう。

 

相手を見下げて、上から目線でアドバイスするなんていうのは、滑稽です。リットマンの法則にもあるように、いざというときに専門家なんてものは役にたちません。

 

綿密に取られた正確なデータ、多くの高尚な理論。こういったものを駆使しても、直観・あてずっぽうの一般人のほうが正確な判断をできることも多いこともわかっているのですから。専門家だぞなんてふんぞり返るなんて、恥ずかしくできませんね。

 

 

◆ホンモノの専門家へ

ホンモノの専門家になるためには、多面的思考謙虚さが必要だと思います。

 

多面的思考とは、多種多様な情報を組みあわせることができること。ひとつの深い知識より、多種多様な知識を組み合わせたほうが、よりより予測ができることがわかっています。井の中の蛙にならないために、多くの分野の情報を知ることが大切なのでしょう。

 

もうひとつは謙虚さです。専門家なんてものは、それほどあてにならないことを述べてきました。そういう専門性の弱さを知っていれば、謙虚さを忘れることはないですよね。ホンモノの専門家は、専門家の脆弱さを知っているものです。自分が正しいと思いはじめたときが、赤信号だと思えばいいのかもしれません。

 

【資料】

(1)「論理的思考」のすすめ、石原武政、有斐閣、2007

(2)つっこみ力、パオロ・マッツァリーノ、ちくま新書、2007

(3)専門家の予測はサルにも劣る、ダン・ガードナー(川添節子訳)、飛鳥新社、2012

 

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