忙しい人のための要約
    ディベートに代表するような戦うコミュニケーションは、多様化する社会においては不適になりやすいです。相手を認めることから始まる「対話」は、新しい価値を創造し、真理の追究に適しており、これからの時代に必要なコミュニケーションといえるのではないでしょうか。

     

     

    ◆はじめに

    Twitterなどを見ていると、言い負かす、論破することが目的になっているのではないかと思うことがあります。

     

    しかしながら、ディベートという枠組みでみれば、それはそれでありかもしれませんが、現実世界をもっとよくしようとおもえば、それは最善でないように思えます。

     

    世の中をよくする、もっといえば自分をさらなる高みにもっていくためには、議論ではなく、「対話」が大切ではないかと思うのです。

     

    今回は、そのことについて書いていこうと思います。

     

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    ◆ディベートと対話は違うもの~ディベートとは~

    ディベートと対話は異なるものです。ディベートとは、「ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論すること」(Wikipedia)とされています。

     

    ディベートにもいろいろと種類があるようですが、一般的にイメージされるのは競技ディベート(competitive debate)ではないでしょうか。

     

    競技ディベートというのは、ある命題について賛成派と反対派にわかれて、主張を交互におこなうものです。そして、議論の優劣を第三者が判定します。競技ディベートの場合、途中で主張を取りさげたり、代替案を提案したりすることはありません。

     

    これらはTwitterなどで、よく見かける光景かなと思います。その内容自体は、人格攻撃に走ったり、話題をそらしたり、根拠のない感想で押しとおそうとするなど、非常に陳腐なものが多いと思いますが。

     

    さて、このディベートは議論のテクニックをみがくうえでは、非常に有用なものであるかと思います。しかし、その目的は相手を論破する、言い負かすことであり、そこに新たな価値はありません。

     

    哲学者のヘーゲルは、アウフヘーベンという考えを提唱しました。アウフヘーベンというのは、簡単にいえば、異なる主張の矛盾を解決することです。

     

    Aという主張とBという主張を統一して、より次元の高い考えであるCを生み出すということです。この場合、ディベートとは異なり、Cという新たな価値が生じています。

     

     

    うえの図で、なんとなくイメージしてもらえたらと思います。これは円だという人と、これは長方形だという人がいたとします。これらは対立矛盾していますね。

     

    しかし、円柱(円筒)ならば、両者の矛盾を解消することができます。上から見れば円ですし、横から見れば長方形になりますから。

     

    このアウフヘーベンを実践していくうえで、必要になってくるのが「対話」です。

     

     

    ◆ディベートと対話がちがうもの~対話とは~

    北川達夫さんは、著書『不都合な相手と話す技術』のなかで、議論(ディベート)のような戦うコミュニケーションは、相互理解を必要としていく時代においては不適であると指摘しています。そして、対話の重要性を説きます。

     

    では、対話とはなにか?というと、以下のように定義しています。

     

    「相手を攻撃すること」ではなく、「相手を認めること」を基本姿勢とし、互いに歩み寄りを目指すコミュニケーションの形態を「対話」という。ー不都合な相手と話す技術 P57ー

     

    ディベートのような戦うコミュニケーションでは、新しい価値は創造されません。悪い見方をすれば、自分の考えを相手に押しつけるだけであり、相手はそれに反発し、そこに平和はありません。憎悪ばかりがさまようのです。

     

    しかし、対話においては、相手を認めることから始まります。もちろん、相いれない部分もでくると思います。

     

    ゆえに、そこから両者が妥協できる新しい着地点を、見つけ出すことができるのです。そこに新しい価値が生まれるのです。

     

     

    ◆「勝ち負け」から「真理の追究」という高次元へ

    ディベートというのは、最終的に勝ち負けで判定します。

     

    議論という枠組みのなかでは、これはこれでありなのですが、俯瞰してみると、レベルが低いという面があることも否めません。小さい子どもが相手を言い負かして、勝った勝ったと喜んでいるとの同じですから。

     

    大切なのは、「勝ち負け」から「真理の追究」へとモノの見方を高めていくことかと思います。

     

    吉岡友治さんは、著書『だまされない〈議論力〉』のなかで、以下のように述べています。

     

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