◆はじめに
いまから約130年前、和歌山沖にて軍艦の遭難事件がありました。
その軍艦の名前はエルトゥールル号。
その遭難事件から100年後、この事件が日本人を助けることになろうとは思いもよりませんでした。
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◆エルトゥールル号遭難事件の概要
エルトゥールル号遭難事件については、Wikipediaに掲載されているので引用します(以下、脚注番号は割愛・改行は引用者による)。
木造フリゲート・エルトゥールル(1864年建造、全長76m)は、1887年に行われた小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えることを目的に、オスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて大日本帝国(日本)へ派遣されることとなった。(中略)
Wikipediaより引用
横浜港に入港したエルトゥールルの司令官オスマン・パシャを特使とする一行は6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。(中略)遭難事件はその帰途に起こった。
9月16日21時ごろに、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールルは、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時半ごろに沈没した。(中略)樫野埼灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりついた。(中略)
Wikipediaより引用(画面奥中央の岩礁にエルトゥールル号が乗り上げ座礁した)
通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。
この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することが出来た。その一方で残る587名は、死亡または行方不明となり、大惨事となった。(中略)神戸港に停泊中だったドイツ海軍の砲艦「ウォルフ」が大島に急行し、生存者は神戸に搬送、病院に収容された。
沖村長は県を通じて大日本帝国政府に通報した。知らせを聞いた明治天皇は、政府に対し、可能な限りの援助を行うよう指示した。各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、義捐金・弔慰金も寄せられた。
明治天皇は島民の立派なおこないを称賛して、救援にかかった活動費用を申し出るように島民たちに求めたそうです。しかし、島民は「あたり前のことをしただけ」と言って、これをきっぱり断ったそうです。すばらしいですね。
◆イラク・イラン戦争で日本人はトルコ人に助けられる
エルトゥールル号遭難事件から約100年後、日本人は窮地立たされることになります。以下、またWikipediaより引用します。
1985年のイラン・イラク戦争で、イラクのサダム・フセインは、イラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言を行った。各国は期限までにイラン在住の国民をメヘラーバード国際空港から軍用機や旅客機で救出したものの、日本国政府は自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援ができなかった。
さらに、当時日本で唯一国際線を運航していた日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、在イラン邦人はイランから脱出できない状況に陥った。
野村豊イラン駐在特命全権大使が、トルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレルは「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答えた。
ビルレルの要請を受けたトルコ航空は、自国民救援のための旅客機を2機に増やし、オルハン・スヨルジュ機長らがフライトを志願。215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコ経由で無事に日本へ帰国できた。
◆エルトゥールル号遭難事件の小説化・映画化
エルトゥールル号遭難事件は小説化・映画化もされています。
1.海の翼/秋月達郎
とても読みやすい小説です。この小説には以下のような部分があります。
人は、ひとりでは生きていけないということです。歴史もまた、おなじです。ひとりでは紡げません。人から人へなにごとかが伝えられ、さらにまた人から人へなにごとかが伝えられる。歴史はそうしたことに積み重ねで成り立ってゆく。伝えるものがひとりでも欠ければ、そこで歴史は止まります。
日本人でエルトゥールル号遭難事件を知っている人は少なくなってきているようです。残念ですね。後世に伝えていくことがとても大切だと思います。
2.海難1890
日本とトルコの友好125周年を記念して、2015年に制作された映画です。いまならアマゾンプライムに加入している人は無料で見られるので、ぜひ観てみてください(2018年5月6日現在)。
劇中、『真心を守りたい、真心を大切にしたい』といったようなセリフがでてきます。日本政府はイラク・イラン戦争のおりに法治を盾にして日本人を助けるための救援機を飛ばしませんでした。これは法治国家において大切なことであり、一概に政府が悪いとはいえません。しかし、真心がないですよね。
映画では、日本人を助けるように判断したトルコの大統領を国民は誇りに思うと言い、大統領もそういう国民を誇りに思うと言うシーンがあります。日本人はそういう誇りを失いかけてるかもしれませんね。
国民を守るとか綺麗ごとを言いますが、いざとなったら法律で禁止されてるから駄目ねとあっさり切り捨てます。わたしたちも少しトルコを見習うべきなのかもしれません。
◆恩を仇で返す日本!?
日本とトルコはすばらしい関係で結ばれていたのですが、とての情けない事件も起きています。トルコは日本とトルコの友情のためにと、新潟県柏崎市にトルコ共和国の建国の父ケマル・パシャの像を寄贈してくれたのですが、それが悲惨なことになってしまったのです。
詳しくは『トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件』を見ていただきたいと思います。同じ日本人として非常に情けなく思えてくると思います。
◆キリストとブッダの言葉
キリストは言いました。
敵を愛し、あなたを憎む者に親切にしなさい。あなたをののしる者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさい。上着を奪われたら、下着を与えることさえ拒んではならない。求める者には誰にでも与えなさい。誰かがあなたの物を奪っても、取り返そうとしてはならない。(ルカ伝)
ブッダは言いました。
この世の憎しみは憎しみによってやむことはなく、愛によってのみやむ。これは永遠の真実である……愛によって怒りに打ち勝て。善によって悪に打ち勝て。与えることで貪欲に打ち勝て。真実によって偽りを言う者に打ち勝て。(ダンマパダ)
世界は自分(自国)の利益ばかりを大切にしようとしたり、他人(他国)を貶めて優位に立とうとしているように思えます。このままいけば、また世界大戦が勃発してしまう。そんなキナ臭い時代に、エルトゥールル号遭難事件は大切ななにかを教えてくれるような気がします。
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