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明珠掌に在り~あなたの「強み」は当たり前なところにある~

忙しい人のための要約
自分の強みというのは、自分が当たり前だと思うような身近なところにあるものです。そういうことを忘れて、強みを外に求めてしまうと苦しいことになるかもしれません。

 

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目次

◆美味しんぼ『ペンションの名物』

アニメ美味しんぼの64話に『ペンションの名物』という話があります。

 

主人公である山岡の同僚が脱サラして山梨県でペンションを経営しており、ペンションで出される料理はプロに劣らぬフランス料理。しかし、どうも客の入りが悪い。山岡とともに訪れていた会社のメンバーは宣伝が足りないのではないかと考えますが、山岡は宣伝の問題ではないと断言。

 

その夜、山岡は同僚の母であるおばあちゃんが台所で山梨県名物の「ほうとう」を食べているところに出くわし、これだ!と閃きます。山岡はこの「ほうとう」をペンションの名物にするように同僚に言いますが、同僚はいつも食べているようなこんな当たり前の料理を名物にするのはいかがなものかと眉をひそめます。

 

山梨名物のほうとう

 

山岡は言います。「夕べのようなフランス料理は東京でだって食べることができます。が、ほうとうは違う。東京で食べさせてくれる店はひどく少ない。当たり前すぎるようですが、山梨でいちばん美味しいのは山梨の食べものです。そして、よそから山梨へ旅に来た人々がいちばん食べたいのも山梨の食べものじゃないんでしょうか

 

この山岡の提案を受けた同僚のペンションは繁盛したよというのが、この話です。アマゾンプライムで無料で見ることができるので興味ある方は見てみてください。

 

さて、ただ美味しんぼの話を紹介するために書いたのではありません。つまり、この話で大切なのは、自分の強みというのは当たり前にあるということなんですね。これだけだとわかりにくいので、すこし掘り下げて説明していきます。

 

 

◆「自分のもっているもの」に着目せよ

山口周さんは著書『知的戦闘力を高める独学の技法』のなかで以下のように述べています。

 

 

多くの人は「自分がもっているもの」を活かそうとせず、「自分が欲しいもの」を追求してしまう。でも、そうやって追求したものが、その人のユニークな強みになるかというと、これはもうまったくならないんですね。もっとも大事なのは、「自分がいますぐにもっているもの」を、どのようにして活用するかを考えることです。(中略)

その人にとって本当の強み、他の人にはなかなか真似のできない強みというのは、それが本当の強みであればあるほど、本人にとっては「できて当たり前、知ってて当たり前」であることが多いのです。だから、それを「あなたの強みってことですよね」と言われると「はあ、それは私にとっては当たり前なんですけど」と思ってしまう。一方で、周囲の人たちにはできるのに自分にはできないことに意識を向けてしまい、いわば「ない物ねだり」をしてしまう。(中略)

人がお金を払うのは、いつも「ユニークなもの」です。そして、自分を他者と差別化するポイントは常に、本人が当たり前と思っていることの中にこそ潜んでいるものなのです。

 

美味しんぼの山岡の指摘がいかに理にかなったものであるかがわかりますね。自分の強みというのは、当たり前すぎて気づかないものなんです。そして、多くの人はすでに有意義なものをもっているのに、ないものばかりに目を向けてしまうんですね。

 

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◆水が満杯だと入らない

 

古代中国の思想家である老子がこんなことを言っています。

 

持而盈之、不如其已(持してこれをみたすは、そのやむにしかず)

 

意訳しますと、「手に持っている器に水を満たして、こぼしてしまうんじゃないかと心配するくらいなら、はじめから満杯にしなければいいのだよ」みたいな感じでしょうか。

 

多くの人は自分のうちにある器に水をいれることに一生懸命になっています。もう器の中は水でいっぱいなのに、です。そして、いっぱいになってしまった器からは水がこぼれ出しそうになり、それをこぼさぬように四苦八苦しているのです。なんとも滑稽ですよね。

 

これは、さきほどから述べている自分の強みにもつながっているような気がします。自分の強みを外へ外へ探求することで、浅薄な強みを追ってしまっているのではないでしょうか。

 

 

◆自分の弱みが強みになることもある

いままで書いてきたことを思うと、実は自分が弱みだとおもっていたことが、強みだったということがありうるのではないかと考えられるのです。

 

鷲田清一さんは著書『〈弱み〉のちから』のなかで、そのようなことを指摘しています。

 

 

「ピアニッシモな現象」あるいは「おぼつかなさ」、あるいは、感覚の消え入りそうなほど微弱な共振……。微弱なものの力は、ひりひりするような微弱な感受性にしか共振しない。それにふれる、それを受けとめる感受性、もしくは精神というものの現前を必要とするのだ。いや、現前という言い方は固すぎる。中井久夫さんによるpresenceの訳どおり、「いてくれること」とでも訳したほうがいい。あるいは、ここではケアにおける関係の反転が問題なのだから、co‐presence(たがいに傍らに居合わせること)という言い方をしたほうがいいかもしれない。弱い者こそ、他者を深く迎い入れることができるのだ。〈わたし〉をほどきあえるのだ。

 

アルコール依存症の人たちには、断酒会という自助グループがあります。これは依存症の人たちが月に数回ほど集まって、体験談や言いたいことをいうようなもののようです。

 

これには、鷲田さんが指摘する〈弱い〉がゆえに他者を受け入れることができるという感じがします。上から目線で〈強い者〉が指導しても透き通ってしまう。しかし、自分と同じような〈弱い者〉だからこそ、固くなってしまった心がほどかれる。そんなこともあるのではないでしょうか。

 

そういう意味では、弱みがあるからこそ、それが強みになるということもあるのではないだろうか。そんな風に思えるのです。

 

 

◆明珠掌に在り

『碧巌録』という禅の本に、「明珠掌に在り(めいじゅたなごころにあり)」という言葉があります。「明珠」というのは「宝石」、「掌」とは「手のひら」という意味です。つまり、「いちばん大切なものは、身近なところにあるよ」ということです。

 

あなたの強みという大切なものは、遠くにあるのではなく、近くにあるのかもしれません。自分の手のひらを見て、そういう思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか。

 

【資料】

(1)知的戦闘力を高める独学の技法、山口周、ダイヤモンド社、2017

(2)〈弱さ〉のちから、鷲田清一、講談社、2014

 

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