この記事を読むのに必要な時間は約 12 分です。

    忙しい人のための要約
    相対主義というのは、ニヒリズム(最悪はテロイズム)に陥る、相手を尊重しない(上から目線)、共通了解の模索を放棄してしまうなどのデメリットがあります。安易に相対主義で結論づけてしまわぬよう注意しましょう。

     

    スポンサーリンク

     

    ◆『美味しんぼ』の相対主義

    美味しんぼのアニメに、『フォン・ド・ヴォー』という話があります。このなかで、店のシェフと主人公の山岡が、フォン・ド・ヴォーの味についてもめるシーンがあります。シェフは、山岡にフォン・ド・ヴォーの味の欠点を指摘され、言い返します。

     

    俺はこのフォン・ド・ヴォーで十分いい味がでていると思う。あんたは出ていないと言うけど、それは個人の好みの差だ!

     

    これを聞いた職場の女性給仕が(実はシェフに想いを寄せている)、たしなめます。

     

    それはいけないわ。好みの差だなんて逃げているのと同じだわ

     

    シェフは、味に関して相対主義、つまり、味なんて人それぞれであることを主張しています。そして、それは逃げであると、彼女はたしなめています。

     

    さて、相対主義というのは、どのようにとらえればいいのでしょうか?

     

     

    ◆人それぞれはテロイズムにつながる

    相対主義というのは、『人間の認識や評価はすべて相対的であるとし、真理の絶対的な妥当性を認めない立場』(デジタル大辞泉)と定義されています。

     

    かみ砕いて一言であらわすと、「人それぞれ」ということです。人それぞれって聞くと、よい感じを受けるかもしれませんが、実はそうでもないんです。

     

    吉岡友治さんは、著書『その言葉だと何も言っていないのと同じです!』のなかで、以下のように述べています。

     

    社会では、互いに何らかの意見表明をして、それに納得して進む。当然、意見の違う他人とも話す。(中略)しかし「人それぞれ」は、他人との合意プロセスを拒否する。(中略)つまり、「人それぞれ」は面倒な人や問題と関わりを持たないために使うときの言葉だ。

    その言葉だと何も言っていないのと同じです!』P66-67

     

    吉岡さんが指摘するように、「人それぞれ」という相対主義は、他人や社会との関わりを拒否する言葉なんですね。これが突きすすむと、ニヒリズムになってしまう可能性があります。ニヒリズムというのは、『すべての事象の根底に虚無を見いだし、何物も真に存在せず、また認識もできないとする立場』(デジタル大辞泉)のことです。

     

    そして、最悪の場合、ニヒリズムはテロイズムにつながってしまうのです。このことについて、吉岡さんは著書『世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』で以下のように説明しています。

     

    原理主義とは、情報・教養という文化資本を持たない人々が、むりやり確実な善悪の基準を持とうとする試みといえよう。

    その基準は単純で分かりやすく、無知な人々の感情に訴えかける。明快であればあるほど評価されるから、判断はますますエスカレートする。当然、魔女狩り・悪魔狩りなどという行きすぎも起こる。果てはテロリズムも厭わない。(中略)

    社会が発展すると相対主義が蔓延する。その中で、善悪の判断に疲れた人々が何か頼れるものを探し、こういう極端な心情に落ち込むということもありうるのだ。

    世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』P74-75

     

     

    つまり、安易な相対主義は、ニヒリズムに発展し、疲労・反動でテロイズム(原理主義)になってしまう危険性があるということです。

     

     

    ◆相対主義は対等ではなく上から目線

    また、人それぞれというのは、言いかえると「私も正しいけど、あなた(みんな)も正しい」ということです。これは一見すると、対等な感じがします。しかし、それは誤りで、実際は上から目線の言葉なんです。

     

    北川達夫さんは、著書『不都合な相手と話す技術』のなかで、自身の相対主義の失敗談を以下のように述べています。

     

    私自身の恥をさらすようだが、学生時代に旧東ドイツ出身の学生たちと意見が対立したとき、私はその対立状態に耐えきれなかった。そしてつい「みんな正しい」という発想を持ち出してしまったのである。すると「まるで神様みたいなモノの言い方をするね」と揶揄するように言われたものだ。

    不都合な相手と話す技術』P139

     

    どんな考えも正しいよね、といった結論になりやすい人がいます。それは、突きつめれば相手に対する尊重がないんですよね。どれも正しいなんていうのは、自分のことを相手よりも上だと思っているからでてくる言葉なんです。

     

     

    または、先述の吉岡さんが指摘しているように、ただ関わりたくないだけなのかもしれません。いずれにせよ、他者に対する尊重はありませんね。

     

     

    ◆脱相対主義、共通了解の模索が哲学である

    哲学者である西研さんは、著書『集中講義 これが哲学!』のなかで、哲学というのは、『だれもが深く納得しうるような考えを求めようとする努力』であるとし、以下のようにも述べています。

     

    多様性にまどわされずに「それらの核心にあるもの」は何かを互いにつめていくと、そこに共通な理解が拓けてくる可能性がある。

    『集中講義 これが哲学!』P95

     

    つまり、相対主義に陥らず、共通了解(だれもが深く納得しうるような考え)を求めることは、哲学なんですね。

     

    先述の北川達夫さんも、文化の優劣という価値観が招いた歴史の災厄を振り返りつつ、同書で以下のように述べています。

     

    「みんな価値がある」を「みんな正しい」という意味に解釈してしまうと、国際社会が成り立たなくなってしまう。(中略)

    全人類の共生を目指すのならば、「みんな正しい」という発想をするのではなく、「みんなが正しいと思うこと」を見いだしていかなければならない。

    『不都合な相手と話す技術』P141-142

     

    「人それぞれ」「みんな正しい」という相対主義から脱し、それぞれの共通了解を模索することが、国際社会を円滑にしていくために大切であるということですね。

     

    相対主義というのは、あたかも個人の特殊性を是認する美しい考えのように思えます。たしかに、そういう考えでいいこともあります。カレーライスが好きな人もいれば、カレーパンが好きな人もいる。それは個人の嗜好ですから、人それぞれでいいでしょう。

     

    しかし、嗜好的要素のつよい部分をのぞいたところで、各々の共通したことを掘りさげていくことは、非常に大切なことではないでしょうか。冒頭で美味しんぼのことに触れましたが、味の好みなんて人それぞれといって、味の探究を放棄するのは、プロとして失格ということです。

     

    プロであるならば、今よりももっと美味しいと思える味を探究することが大切で、シェフをたしなめた女性が正しかったということです。ちなみに、この物語では、シェフは改心しますのでご安心を。

     

    いずれにせよ、なんでもかんでも相対主義で片づけてしまえば、先述したようにニヒリズム・テロリズムに陥ったり、社会にゆがみがでてきてしまう危険性があるわけです。

     

     

    ◆自分のことをもっと知ろう

    では、安易な相対主義に陥らないためにはどうすればよいのでしょうか?

     

    先述の吉岡さんは、以下のように述べています。

     

    面倒なようでもいちいち前提を確認して、「これがよい」とか「これはよくない」と具体的に判断していくほかないのだ。とりあえず、自分の行動の基準がどこにあるかを点検してみるところから始める必要がある。

    世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』P75

     

    対策はシンプルで、なんでもありということから脱し、横着せずに地道に考えていくことが大切なんですね。

     

    そして、自分はどういう思考基準があるのかを内省してみる。たとえば、保守主義なのか、人格主義なのか、相対主義なのか、功利主義なのかなどなど。

     

    一概に○○主義であるとはいえないでしょうけど、自分にはこういう傾向があると客観視できるようになると、いいかもしれませんね。

     

    安易に相対主義にならぬよう気をつけましょう。

     

    【資料】

    (1)その言葉だと何も言っていないのと同じです!、吉岡友治、日本実業出版社、2014

    (2)世の中がわかる「○○主義」の基礎知識、吉岡友治、PHP新書、2007

    (3)不都合な相手と話す技術、北川達夫、東洋経済新報社、2010

    (4)集中講義 これが哲学!、西研、河出文庫、2010

     

    スポンサーリンク

     

    Pocket
    LINEで送る