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    忙しい人のための要約
    エビデンスをおしつけるエビハラ、治療法をおしつけるセラハラはよろしくありません。EBMというのは患者の意向や価値観を尊重しており、EBMはエビデンスを患者に押しつけるエビハラとはまったく異なるものです。注意しましょう。

     

     

    ◆はじめに

    昨今、スポーツ界でのパワハラ(パワーハラスメント)が話題になっていますね。今回はパワハラではなく、エビハラ・セラハラについて書いていこうと思います。

     

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    ◆エビデンスハラスメントとは?

    エビデンスハラスメント(以下エビハラ)とはなにか?

     

    エビデンスというのは科学的根拠、ハラスメントというのは嫌がらせという意味です。つまり、エビハラとは「科学的根拠を押しつける嫌がらせ」といった意味あいになります。

     

    エビハラはわたしの造語です。以前の記事でもすこし触れました(参照:EBM(根拠に基づく医療)とは~初学者のための超基礎知識~)。

     

    EBM(科学的根拠にもとづく医療)において、エビデンスは欠かせません。それがハラスメントになるとは、どういうことなんでしょうか?

     

     

    ◆EBMはエビデンスを患者にあてはめるという誤解

    EBMというのは、一定数の人たちに誤解されている節があるように思います。

     

    よくある誤解は、「EBMってエビデンスを患者さんに押しつけるもんでしょ?」みたいなものです。エビデンスを患者さんに押しつける。これこそ、さきほどから言っているエビハラそのものですね。

     

    そもそもEBMに、エビデンスを患者さんに押しつける(当てはめる)なんていう考えはありません。ちなみに、EBMとエビデンスはまったく別物です。EBMは方法論であり、エビデンスは方法(道具)のひとつです。「EBMにもとづく医療が大切」なんてことを言っている人がときおりいますが、それだと「科学的根拠にもとづく医療にもとづく医療」になっちゃいます。

     

    閑話休題、EBMの実践手順をみれば、エビデンスを患者さんにあてはめるという考えが、いかにおかしいのかがわかります。EBMの実践手順は、以下のようになっています。

     

    1.患者の臨床問題や疑問点の抽出と定式化(PICOの設定)

    2.PICOに基づいた患者の臨床問題や疑問点に関する情報の検索

    3.得られた情報の批判的吟味(critical appraisal)

    4.得られた情報の患者への適用の検討

    5.適用結果の評価

    日本理学療法士協会『EBPTの実践手順』

     

    くわしくは引用先を見ていただければよいと思いますが、重要なのは「4.得られた情報の患者への適用の検討」ですね。

     

    4.得られた情報の患者への適用の検討

    文献の批判的吟味が済めば、次にそれらの論文の結果が、目の前の対象者に適用できるかどうかを検討することになります。この段階における臨床判断を中立的、科学的、患者中心的に包括的に実践することがEBPTの真骨頂となります。

    日本理学療法士協会『EBPTの実践手順』

     

    得られたエビデンスが、患者さんの意向や価値観などを含めて、患者さんに適用できるのか検討することが大切であり、これがEBM(EBPT)の真骨頂であると述べられています。EBMってエビデンスをあてはめるもんでしょ?っていうのが、いかに的外れな指摘であるかがわかると思います。

     

    エビデンスを患者さんにあてはめるというのは、たんなる嫌がらせです。なぜなら、極論、患者さんがその治療を拒否しても、無理やり実施するということなんですから。こんな極端な例は少ないかもしれませんが、もし実際にそんなことがあれば、それは患者さんの人権を無視した暴力的なものであり、ハラスメントをこえてバイオレンスといっても過言でありません。

     

    患者さんの気持ちや価値観などを踏まえて、治療の内容をすりあわせていくところに、EBMのよさがあるんですから、それを抜かしたらダメですよね。

     

    EBMを実践するというのは、エビデンスにもとづいて、実践手順にのっとり臨床判断をおこなうことであって、エビデンスをあてはめるものではありません。

     

     

    ◆EBMは経験を否定するという誤解

    あと、EBMというと、「エビデンスばかりを重視して経験を否定するものだ! そんなのダメだ!」と反対する人もいます。これも誤解です。さきほどの実践手順4には、患者の意向や価値観のほかに、医療者の専門的知識・技能・臨床経験や施設の設備や医療機器の状況なども含まれています。

     

    しっかり経験も入ってますね。EBMにおいてエビデンスというのは、ひとつの要素にすぎません。それがすべてではないのです。要素のひとつであるエビデンスと臨床技術や経験、患者さんの意向や価値観などを、総合的に判断することが大切なんですね。

     

     

    ◆セラハラから抜けだすためのエポケー

    エビハラに近いものに、セラピーハラスメント(セラハラ)があるように思います。セラピーというのは治療法ということで、つまりは「治療法の押しつけによる嫌がらせ」といった意味あいです。

     

    そもそも治療法というのは、その言葉が指し示すように「治療の方法」です。方法というのは、言いかえれば道具ということです。道具を使うさいには、状況と目的をあわせて考えないとよろしくありません。たとえば地面を掘る場合に、スコップがいい、シャベルがいいなど、道具(方法)だけを言い争っても埒(らち)があきません。

     

     

    どういう目的なのか、どういう状況なのかということを考える必要があります。固い地面ならシャベルがいいでしょうし、家庭菜園のような感じで使うならスコップがいいでしょう。

     

    方法を選択するさいには、目的と状況を考える必要があります。しかし、セラピストのなかには、方法が固定化されていて、状況を無視して患者さんにあてはめてしまう人もいるのではないでしょうか。これこそが、セラハラですね。

     

    医師である井原裕さんは、著書『生活習慣病としてのうつ病』のなかで、以下のように述べいます。

     

    臨床の現場は、毎日が戦場であり、技法に固執していてはうまくいかない。(中略)

    私ども臨床家は、結局は、あくまで患者に合わせていかざるを得ない。技法に患者を合わせるのではなく、患者に技法を合わせるのである。主役は患者であって技法ではない。技法に合った患者を探すのではなく、技法を患者に合わせてモディファイして、柔軟に対応していくほうがよいであろう。

    『生活習慣病としてのうつ病』P180-181

     

    セラピストは臨床で困ったことや難渋例があると、徒手療法に関心がいきやすいように思います。たしかにそれはそれで必要であることもあると思います。

     

    しかし、いったん徒手療法から離れてみる、いわゆるフッサールが提唱したエポケー(判断停止)をしてみるのもいいかもしれません。

     

    エポケーについて、コンサルタントである山口周さんが、著書『武器になる哲学』のなかで以下のように説明しています。

     

    簡単に言えば、エポケーとは、「客観的実在をもとに主観的認識が生まれる」という客体→主体の論理構造に「本当にそれで正しいのか」という疑いを差し向けるということ、確かにそのようにように思えるけれども、一旦それはカッコに入れておこう、ということです。

    『武器になる哲学』P326

     

    これでもやや難しいと思う人がいるかもしれません。哲学者の小川仁志さんは、著書『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』で、エポケーを以下のように超訳しています。

     

    いったん頭の中を空っぽにすること

    すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』P266

     

    おおまかに把握できたのではないでしょうか。具体的に例示するならば、徒手だけで解決しようとしてないかな? それってなんで? ほかにも方法があるんじゃないの?みたいに考えてみる感じでしょうか。セラピストが実施できるのは、徒手療法だけじゃありませんからね。

     

     

    ◆『目をなくしたカバ』から学べるエポケー

    戸田智弘さんは、著書『ものの見方が変わる 座右の寓話』のなかで、『目をなくしたカバ』という寓話を紹介しています。さきほどのエポケーに通ずるものもあり、引用して紹介したいと思います。

     

    一頭のカバが川を渡っているときに自分の片方の目をなくした。カバは必死になって目を探した。前を見たり、後ろを見たり、右側を見たり、左側を見たり、体の下を見たりしたが、目は見つからない。

    川岸にいる鳥や動物たちは「少し休んだほうがいい」と助言した。しかし、永遠に目を失ってしまうのではないかと恐れたカバは、休むことなく、一心不乱に目を探し続けた。それでも、やはり目は見つからず、とうとうカバは疲れはてて、その場に座りこんでしまった。

    カバが動きまわるのをやめると、川は静寂をとり戻した。すると、カバがかき回して濁らせていた水は、泥が沈み、底まで透きとおって見えるようになった。こうして、カバはなくしてしまった自分の目を見つけることができた。

    ものの見方が変わる 座右の寓話』P52

     

    個人的には、エポケーってこういう感じだと思うんですよね(哲学の専門家からすると謬見かもしれませんが……)。カバがあせって動きまわっていると、大切なものが見えなくなる。しかし、いったん落ちついてみると、逆に大切なものが見えてくる。

     

    これは、セラピストが触診するときに、力任せに触っていると感覚がわかりにくいけど、すこし力を抜いてみると、逆に感覚がわかってくるのに似ているように思います。

     

    いったん停止してみるというのも、重要なことなんですよね。あせって動きまわって、周りが見えなくなっているカバのような人って、案外多いかもしれません。

     

     

    ◆ハラスメントを防ぐには同意と内省が必要

    最後は、エビハラ・セラハラなどのハラスメントを防ぐにはどうしたらいいのか?ということについて書いていきます。

     

    基本的には、患者さんの同意を得たらいいんだと思います。同意を得ることができたなら、ハラスメントになる可能性は低くなるでしょう。あれ?同意が得られれば大丈夫じゃないの?と思う人がいるかもしれません。

     

    先日、体操選手のパワハラが話題になりました。コーチはパワハラ(暴力)したと認めたけど、選手がそれを否定したんですよね。でも、動画などを見るとそれはパワハラにしか見えない。つまり、当事者はハラスメントされたという意識がなくても、第三者から見ると、ハラスメントになるという可能性は、なきにしもあらずなんですよね。

     

    ゆえに、同意を得たとしても、つねにハラスメントになっていないか内省する必要があるように思います。これは口臭みたいなもんで、本人はなかなか気づきにくいので難しいですが。。。

     

    いずれにせよ医療というのは、セラピストのエゴイスティックを充足させるものではありません。エビデンスを押しつけるエビハラ、自分の治療法を押しつけるセラハラが起こらぬよう、注意しましょう。

     

    【資料】

    (1)生活習慣病としてのうつ病、井原裕、弘文堂、2013

    (2)武器になる哲学、山口周、KADOKAWA、2018

    (3)すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典、小川仁志、PHP文庫、2011

    (4)ものの見方が変わる 座右の寓話、戸田智弘、Discover、2017

    (5)日本理学療法士協会『EBMの実践手順』(リンク

     

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