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    ◆はじめに

    本を読むことは、知識を増やし、物事を考えるさいの有用な糧になります。わたしも、教養やなんやらのためになるべく本を読むように心がけていますが、そのさいの注意点やとらえ方(意義)といったことについて、今回は先哲の言葉などを引用しつつ、紹介していきたいとおもいます。

     

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    ◆読書法について

    (1)「なるべく読まない」と「たくさん読む」が大切

    本は読む必要がなければ、読まなくていいとおもいます。

     

    「いや、読書は人間を陶冶していく(人の性質や能力を円満に育てあげる)なかで欠かせないものだ」と、考える人がいるかもしれません。しかし、わたしはあまりそう思いません。作家の林望さんは、著書『知性の磨きかた』のなかで以下のように述べています。

     

    読書と人格はほぼ無関係であります。(中略)

    人間が生きていく上では、読書というのは必須科目じゃないんだということ、まずそこから発想しなればならない。本を読んだからといって優れた人間になるなどというのは、しょせん根拠のない幻想だと私は思います。

    『知性の磨きかた』P101-102

     

    人生は読書だけじゃありません。読む時間が少なければ少ないほど、ほかのことに時間を費やせますからね。映画に行ったり、友人とごはんを食べたり、家族と遊園地に行ったり、恋人とデートしたり。

     

    また、現代において情報源は本だけではありません。IT(情報技術)の発達により、いつでもどこでもスマホでちょちょいと調べられるようになりました。いわゆる、ユビキタス社会ですね。

     

    しかし、本には本の大切な価値があるとおもいます。本のように廉価でかつ容易に、体系だった情報を手にいれられる媒体はそうありません。けれど、本によってその価値(質)の程度は異なります。質の低い本を読んでも、得るものは少ないでしょう。おなじ時間を費やすのであれば、質の高い本を読んだほうが、コストパフォーマンスが高いのは自明です。

     

    ただし、その質の高い本を選択するためには、多くの本を読むことが必要になってきます。なぜなら、眼力を養う必要があるからです。もっと簡単にいえば、自分のモノサシを身につけるといった感じでしょうか。多くの本を読んで眼力を養うことで、この本は質が高い、質が低いというのがなんとなくわかってくるんですね。

     

    眼力のレベルによって、同じ本でも評価が異なってくるようになります。たとえば、初学者と熟達者が初心者向けの本を読んだとします。初学者はわかりやすいと言って、高い価値をつけるだけかもしれません。たいして熟達者のほうは、自分には簡単すぎるが、初学者にはおすすめできるなど多面的に価値を見いだすことができるでしょう。

     

    いずれにせよ、たくさんの本を読まないことには、眼力を養うこともできませんから、読む本はなるべく少なくするのがよいけれど、一方ではたくさんの本を読まねばならないという、矛盾したようなことがおこるわけです。

     

    ちなみに、「本の質の基準はなんだろう?」とおもう人がいるかもしれません。極論、それは「役にたつか」または「おもしろいか」ではないでしょうか。実生活に役にたたなくても、おもしろければそれはそれでいい。おもしろくなくても、実生活で役にたてばそれはそれでいい。最善なのは、役にたっておもしろいものでしょうね。

     

     

    (2)つまらない所は飛ばせばよい

    フランスの作家であるダニエル・ペナックさんが書いた本に、『奔放な読書』(新装版は『ペナック先生の愉快な読書法』)というものがあります。そのなかに、「読者の権利十カ条」というものが提示されており、それには「飛ばし読みする権利」が挙げられています。飛ばし読みというのは、読者に認められた権利なんですね。

     

    本を読むのが苦手な人には、本というのは、最初から最後まで読み通さなければならぬものと考えている人がいます。たしかに、小説といったものは、最初から読まないといけませんね。途中から読んでも、おそらくおもしろくないでしょう。

     

    まぁ、イギリスの作家であるサマセット・モームは、『読書案内』という本のなかで、世界の名作文学には冗長で余計な部分が多いので、つまらないところは飛ばしてしまえと、小説さえも飛ばし読みを勧めています。

     

    基本的には小説のような連続的なもの以外の本、非連続的なものに関しては、飛ばし読みしてもよいと思います(連続と非連続というのは厳密には区別しにくいけれど)。つまみ食いならぬ、つまみ読み、大いにOKです。

     

    「いや、著者の伝えたいことをしっかりくみ取るためには、最初から最後まで読みこまないとダメだ」と、考える人がいるかもしれません。けれども、フランスの批評家であるロラン・バルトは、「作者の死」という概念によって、本(テキスト)を読むというのは、作者の言いたいことを考えるようなものではなく、もっと自由で創造的な能動的行為であると指摘しています。

     

    つまり、本というのは、読者が自由に楽しく読めばよいということです。本は気楽に読めばいい、最初から最後まで読む必要はなく、必要な部分(役にたちそうなところや面白いところ)だけ読めばいいんです。

     

    辞書を想像するとわかりやすいかもしれません。「やかん」を調べようとおもったときに、最初から読む人はいませんよね。「わ行」のところを開いて、言葉を探していきます。それとおなじようなもんです。

     

     

    (3)難しい本は後回しにしておけ

    ときおり、難しい本を意味わかんないけど必死こいて読んでいる人がいます。それはちょっとやめといたほうがいいかもしれません。日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんは、著書『13歳からの反社会学』において以下のように述べています。

     

    むずかしく書かれた本は、読者もしっかり考えながら読まなければならない、なんていわれますけど、基礎知識も人生経験もない若者が、いくら必死こいて考えたところで理解することなどムリですよ。(中略)

    だから、若いうちはムリしてむずかしい本を読まないこと。理解できない本は、少なくとも現在のきみたちにとっては、意味がない本、必要のない本なんです。

    『13歳からの反社会学』P127-128

     

    難しい本は後回しにして読めばいいとおもいます。後回しにして読んでみると、あれ?よくわかるぞ!なんてことがよくあります。逆に、若いときに感銘を受けた本を読みかえしてみると、あれ?大したこと言ってないじゃん!となることもあります。成長と状況に応じて、相応の本を読んでいけばいいとおもいます。

     

    難しい本とはどんなものか?と問われれば、最初の10ページくらい読んでみて、よくわかんないもの、理解できないものは難しい本といってもいいでしょう。最初がわかんない本って、途中でわかってきたぞ!ってなることは、ほぼありません。林望さんも、以下のように述べています。

     

    ほんとうに面白い本はね、読み始めたら最後まで一気に読ませてくれます。そのうちに面白くなるだろう、面白くなるだろうと我慢して読む本は、たいてい最後まで読んでも面白くありません。

    『知性の磨きかた』P141

     

     

    (4)途中で読むのをやめてもよい

    どうしても読めないような難しい本は、さっさと読むのをやめてしまうのがよいでしょう。地球科学の専門家である鎌田浩毅さんは、著書『理科系の読書術』で以下のように述べています。

     

    本はちゃんと読まなくてもよいのである。途中で「この本はあまりおもしろくないな」と感じたときは、そこでやめてもよい。(中略)

    抵抗感が生まれたことには何らかの理由があるもので、我慢して続きを読む必要はないのだ。同じジャンルでもより頭に入りやすい本はあるので、そうした自分に合う本に乗り換えればよいのである。合わない本に時間を費やすのはそもそも無駄であり、そのまま続けていたら読書が嫌いになってしまう。

    『理科系の読書術』P11

     

    わたしも難しくてよくわからない本を、なにか強迫観念的に読んじゃうことがありました。買ったから読まないともったいないとか、そういう感じですね。でも、そういう本って、読み終えてもぜんぜん頭にはいってきません。「ふぅ~読み終えた!で、これどういう内容だったんだろう……」って。これは本を読んでいるというより、文字を目で追っているだけなんですね。

     

    難しい本っていうのは、自分の知識や経験の少なさといったものが原因になっていることもあります。しかし、世の中には、ほんとに悪文で、これ日本語?っていう本もあります。吉岡友治さんは、著書『だまされない〈議論力〉』のなかで以下のように述べています。

     

    難解な用語法は、貧困な内容を隠すためのテクニックであることも多い。読むほうとしては、そういう外皮をはぎ取って、その本質に迫らればならない。(中略)簡単な内容なのに深遠なモノだと錯覚をしてしまう。

    だまされない〈議論力〉』P148ー149

     

    難しい本=質が高い、とは簡単にいえません。それは、たんに質が低いことを難解な言葉や言いまわし、わかりくい構成でごまかしている可能性もあるからです。そんな本に、貴重な時間を費やしてしまうのは、非常にもったいないといわざるをえません。

     

    読書というのは、難しい本をイヤイヤ読んでいく我慢大会や難行ではありません。世の中にはイラストや図などを使ったり、具体的な例をふんだんに使って、なるべく理解できるように努力してくれている本がたくさんあります。そういう本にさっさと乗りかえたほうが、圧倒的に利益になるとおもいます。

     

    先述の鎌田さんは、同書のなかで、難しい本は著者が悪いとおもえと書いていますが、そのくらいの心もちでもよいとおもいます。

     

     

    (5)内容を記憶に残すための方法

    本を読んでも、内容を覚えてないというのはあるあるですね。どうすればよいのでしょうか?

     

    わたしなんかは、本にコメントを書いたり、線(アンダーライン)を引いたり、付箋を貼ったりしています。

     

    知性の磨きかた(PHP新書)

    気になるところに付箋を貼る

     

    また、有用だった本をなるべく目につくところにおいて、おもい立ったら目を通すようにしたりしています。目を通すのをくりかえしていると、それが頭に残るような気がするんです。

     

    あとは、読んだらアウトプットすること。人に話すとか、ブログにアップするとか、SNS(TwitterやFacebook)に書くなど。これは本を読んで、しっかり内容を把握していないとできません。また、そのさい、曖昧な部分がわかってくるので、理解を深めるためにもよいとおもいます。

     

    ほかにも、ノートに書いて残しておくという手もあります。外資系コンサルタントである山口周さんは、著書『知的戦闘力を高める独学の技法』のなかで、以下のようにポイントを紹介しています。

     

    ここでポイントになるのが、優先順位付けによる選抜です。私の場合、アンダーラインの箇所がどんなに多かったとしても、イケスに放り込むのは基本的に5箇所、どんなに多くても9箇所までとしています。(中略)

    なぜかというと、あまりに多いと、アンダーラインを書き直す作業そのものに嫌気がさしてしまうからです。

    知的戦闘力を高める独学の技法』P201

     

    本を読んで、必要なところをノートに書きとめておく。そのさい、自分にとって重要優先度が高かったものを選抜することで、端的に最低限必要なことを再認識できます。本というのは、ひとつでも心に残るものがあれば儲けものだとおもっているので、ノートにそれをまとめるというのはいいかもしれません。

     

    ちなみに、図書館などを利用している人は、このノートをつくるときには、注意が必要です。自分が所有している本なら、すぐに見直すことができますが、図書館の本は難しいからです。

     

    ですので、図書館の本の場合は、以下の情報は最低限あわせて書いておく必要があります(ネットで調べたらでてきますが、その手間がもったいないですから)。

    ・本のタイトル

    ・著者名(翻訳者)

    ・出版社

    ・出版年

    ・ページ数

     

    これらがないと、引用するときに困りますので、気をつけましょう。あと、書き写すときは正確に。文章のあいだを抜くときは、「(中略)」や「……」などを使いましょう。勝手に編集するのは、著作権に引っかかりますからダメです。

     

     

    (6)本を読むことが目的になるな

    本を読むこと自体が目的になってはいけない、つまり、本を読むために本を読んではいけません。小説を読むときでも、それは楽しむためであったり、非日常感を味わうためであったり、目的があるはずです。専門書でも、それはおなじであると思います。

     

    たくさん読むことが目的と言う人がいるかもしれませんが、読書量なんてものは、結果であってそれを目的にするのはややナンセンスかとおもいます。たくさん読んだほうが偉いとか、そんなことはありえません。

     

    次項でくわしく述べますが、読書において大切なのは惰性的な多読ではなく、読書にともなう思考であり、そこから派生する行動です。物理学者である寺田寅彦は、著書『随筆集』のなかでこう述べています。

     

    無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である。

     

     

    (7)読むだけでなく自分で考えることが大切

    哲学者のアルトゥル・ショーペンハウアーは、著書『読書について』のなかで以下のように述べています。

     

    読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。(中略)

    ほとんど一日じゅう、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われてゆく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ。

    『読書について』P138-139

     

    本を読んでも、そこに思考がないのであれば、それは有意義な読書どころか、不利益な読書になりかねません。ショーペンハウアーいわく、自分の足で歩けなくなる。医学っぽくいえば、思考の廃用症候群がおこってしまうからです。

     

    経済学者である竹内靖雄は、著書『「日本人らしさ」とは何か』のなかで、日本人は「思考の節約」に熱心であり、考えることを極力省略しようとすると指摘しています。日本人であるならなおさら、思考の廃用症候群に注意が必要かもしれませんね。

     

    吉田松陰も『講孟余話』のなかで、読書について以下のように述べています。

     

    およそ読書の法は、わが心を虚しくし、胸中に一種の意見を構へず、わが心を書の中へ推しいれて、書の道理いかんと見、その意を迎へきたるべし。今人、書を読む、すべてこれ書をとりて、わが心へ引きつくるなり。志を逆ふるにあらず。(中略)

    余おもふに有力の人、書を解し、附会牽強にわたる者多し。皆志を逆へざるの過ちなり。しかれども無識の人、書を信ずるに過ぎ、あるひは辞に泥着し、活眼を開き、活読することあたはず、さらに一癖を生ずる者あり。このところの味、自得にあり。言伝し難し。

    『講孟余話』

     

    簡単に意訳すると、本に書いてあることをひとまずそのまま受けいることが大切。本を読むときに自分の都合がいいようにばかり解釈するのもよくないし、本に書いてあることを盲信してしまうのもよくない。その読書のコツは、自分で習得するしかない。言葉じゃ伝えにくいから。って感じでしょうか。

     

    自分に都合のよい本を読んでばかりだと、思考を鍛えることはできません。それは、自分の偏見を強めてしまうだけの可能性が高くなってしまいます。また、本を盲信してしまうだけでは、それは本の奴隷になってしまいます。

     

    読書というのは、本を読んで、そこから考えるところに意義があるとおもいます。先述したように、本を読むことが目的になってはいけないのです。本を読んで、そこから考えていくことが大切なんですね。

     

    哲学者のジョン・ロックは、著書『知性の正しい導き方』で、以下のように述べています。

     

    読書は心に知識の素材を提供するだけであり、思考こそが、私たちが読んだものを自分のものにします。私たちは反芻する動物であり、堆積した大きな塊を詰め込むだけでは十分ではありません。

    知性の正しい導き方』P86

     

    ロックの指摘は、読書の要点を端的に述べているようにおもいます。そして、可能であれば、考えたことを現実の社会で行動として、実践として表現していくことが大切だとおもいます。

     

    明の時代に、王陽明がおこした儒教の一派である陽明学には、「知行合一」という概念があります。これは、「いくら知識があっても、知識をもとに行動がなければ意味がない。真の知識というのは、行動をともなうものである」といった意味合いです。

     

    まぁ、「わかっちゃいるけどやめられない」みたいなものが、人間にはあると思うので、この概念を鵜呑みにするのはあまりよろしくないかなと思います(行動経済学やバイアスを勉強すれば、人がいかに合理的な生き物でないかがよくわかる)。しかし、行動してこそ知識は意義あるものになるという側面も、たしかにあるようにもおもいます。

     

    ぜひ、可能であるなら考えたことをアウトプット(行動として実践)してみてはいかがでしょうか。

     

     

    ◆読書に逃げるな、現実を生きよ

    さて最後は、読書においてもっとも注意すべきことを書いて、おわりにしようと思います。

     

    それは、読書に耽ることで、現実世界を見なくなってしまうということです。もっとシンプルにいえば、読書に逃げるな、現実を生きよということです。

     

    ショーペンハウアーは、前書のなかで以下のようにも述べています。

     

    少なくとも読書のために、現実世界から目をそらすことがあってはならない。読書よりもずっと頻繁に、現実世界では、自分の頭で考えるきっかけが生まれ、そうした気分になれるからだ。

    もっと詳しく言うと、具体的なもの、リアルなものは、本来の原初的な力で迫ってくるため、ごく自然に思索の対象となり、思索する精神の奥底を刺激しやすい。

    『読書について』P19

     

    画像:メアリーの部屋(Wikipedia)より引用

     

    哲学者のフランク・ジャクソンさんは、『マリーの部屋』という思考実験を発案しました。

     

    マリーは色について物理的事実はすべて知っていますが、マリーは生まれてから一度も白黒の部屋からでたことはありません。つまり、色についての知識はありますが、実際の色については一度も見たことがないのです。彼女が外にでたとき、新しい感覚(クオリア)は生まれるのか……?

     

    まぁ、本来の実験の趣向とは異なりますが、読書に耽ってしまい、現実から逃げている人は、マリーとおなじように思えます。人間を知るとか、社会を知るとか、そんなことを知りたければ、部屋にこもって100冊の本を読むよりも、客商売のバイトを1か月するほうがよいでしょう。

     

    最後は、モラリストであるラ・ロシュフーコーの言葉で締めくくりたいとおもいます。

     

    本を研究するよりも、人を研究するほうが大切である。

     

    【資料】

    (1)知性の磨きかた、林望、PHP新書、1996

    (2)続哲学用語図鑑、田中正人、プレジデント社、2017

    (3)13歳からの反社会学、パオロ・マッツァリーノ、角川文庫、2013

    (4)理科系の読書術、鎌田浩毅、中公新書、2018

    (5)だまされない〈議論力〉、吉岡友治、講談社現代新書、2006

    (6)知的戦闘力を高める 独学の技法、山口周、ダイヤモンド社、2017

    (7)世界名言大辞典、梶山健、明治書院、1997

    (8)読書について、アルトゥール・ショーペンハウアー/鈴木芳子訳、光文社古典新訳文庫、2013

    (9)[新釈]講孟余話、吉田松陰/松浦光修編訳、PHP、2015

    (10)知性の正しい導き方、ジョン・ロック/下川潔訳、ちくま学芸文庫、2015

    (11)運と気まぐれに支配される人たち、ラ・ロシュフコー/吉川浩訳、角川文庫、1999

     

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