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1万時間の法則の嘘と本当~脱公平世界仮説、強みを活かせ

忙しい人のための要約
訓練の累積量とパフォーマンスの関係は対象によってそれぞれ異なっており、いわゆる「1万時間の法則」は嘘(誤り)であることが報告されています。そこから学べることは公平世界仮説から脱する、量より質を重視する、いま持っている強みを活かすなどが考えられます。

 

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目次

◆1万時間の法則の嘘

「1万時間の法則」(以下、法則)というものがあります。意味あいとしては、なにごとも上達するには、1万時間という量の練習や取り組みが大切であるといった感じでしょうか。

 

さて、この法則なんですが、論文によって部分的に否定されています(1)。この報告では88の論文をメタ分析しています。

 

それによると、たしかに自覚的訓練の累積量とパフォーマンスには、正の相関が認められました。しかし、訓練がパフォーマンスに与える影響の大きさは分野によって異なり、パフォーマンス上達のための必要な時間は決まっていないとのことでした。

 

報告では、以下のような具体的な数値があげられています。

 

訓練の量でパフォーマンスの差を説明できる割合

テレビゲーム:26%

音楽(楽器):21%

スポーツ:18%

教育:4%

知的専門職:1%以下

 

資料(1)より作成

 

結果からいえることは、訓練の量が多いとか少ないとかで、パフォーマンスが高い人と低い人の違いを説明できるのは、4分の1にも満たないということです。

 

法則には、般的に信じられているほどの効果はない。つまり、訓練の時間が、パフォーマンスに関与している割合は少ないということですね。

 

 

◆嘘が流布したのはなぜ?

そもそも、この法則の元ネタになった論文は、1993年にエリクソンさんという心理学者が報告したもののようです(2)。

 

そして、この法則が有名になったのは、マルコム・グラッドウェルさんの著書『Outliers(邦題:天才!成功する人々の法則)』がベストセラーになったためです。

 

ところが面白いことに、この本をエリクソンさんは著書『PEAK(邦題:超一流になるのは才能か努力か?)』で否定しているのです。

 

エリクソンさんは、1万時間という数字にはなんら特別な意味はなく、たんなる平均的な数字とおっしゃっています。平均というものが、いかに幻想的なものであるかは、以前の記事でも触れました(参照:平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学)。

 

そもそも、こんなにも嘘(誇張された内容)が流布してしまったのは、本の影響もあるかと思いますが、読んだ人たちの論理的な誤謬(誤り)もあるかと思います。

 

たとえば、「天才モーツァルトは努力をしていた」という命題があったとします。そこから、「努力すればモーツァルトのような天才になることができる」と導いたのではないでしょうか?

 

しかし、これは誤りですよね。正しくは、「努力をしないとモーツァルトのような天才にはなれない」でしょう。

 

命題:天才モーツァルトは努力をしていた。

× 努力すればモーツァルトのような天才になることができる。

努力をしないとモーツァルトのような天才にはなれない

 

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◆嘘から学ぶ大切なこと

法則が嘘(一般的にいわれているよりも関連が少ない)であるということがわかりました。さて、そこから学べることはなんでしょうか?3つほどあげてみます。

 

1.公平世界仮説から脱する

多くの人が抱きやすいバイアスに、「公平世界仮説」というものがあります。

 

これは、心理学者のメルビン・ラーナーさんが最初に唱えたもので、「世界は公平にできているから、失敗も成功もみずから招いたものであると思い、因果応報や自己責任を重視する偏り」のことです。

 

脳というのは、勧善懲悪(良いことをすれば報われ、悪いことをすると罰せられる)という幻想に取り憑かれているので、そう思ってしまうのも致しかたないのかもしれません(3)。

 

しかし、現実の世の中は理不尽・不条理です。山口周さんは、著書『武器になる哲学』のなかで、公平世界仮説によって、弱者非難やテロル(暴力行為あるいはその脅威によって敵対者を威嚇すること)などの問題がおこるということを指摘しています。

 

ナチスドイツによるロマ人やユダヤ人虐殺、あるいは世界の多くの国々で行われた弱者への迫害は、このような世界観、すなわち「世界が公正である以上、苦境にある人は何らかの理由があってそうなっている」という世界観に基づいてなされたということを決して忘れてはいけません。

さらに「努力は報われる」という公平世界仮説に囚われると「社会や組織を逆恨みする」ことになりかねないという点も指摘しておきたいと思います。(中略)

世界は公正でなければならないにもかかわらず、この組織は公正ではない、つまりこの組織は道義的に間違っていると考え、やがてその組織を逆恨みするようになるわけです。これは、テロルが生まれる心理過程そのものです。

『武器になる哲学』P284-285

 

1万時間の法則というのも、ようは努力していたら報われる(報われなければならない)という、公平世界仮説にちかいところがあるように思います。へたをすると、山口さんが指摘するような、危険な思考にいたってしまう可能性もあるので、注意が必要です。

 

現実でよく見かけるのは、「お前の努力が足りないからだ!」みたいな根性論でしょうか。これは公平世界仮説×1万時間の法則による、努力至上主義がまねいた言葉のように思われます。努力が足りていても、うまくいかないのが人間だとおもいます。

 

 

2.努力するなら量より質を重視

いままで述べてきたように、訓練(努力)の累積量とパフォーマンスには相関があるものの、その効果は非常に少ないです。そこから考えられるのは、量より質、つまりはもっとよい方法(工夫)がないかということを重視することではないでしょうか。

 

以前、ホリエモンこと堀江貴文さんが、寿司職人の修行という慣習にたいして、「何年も修行するのはバカだ」といった趣旨を述べて、いろいろと議論がおこりました。この寿司職人の慣習、いわゆる「飯炊き3年、握り8年」といったものは、さきほどから述べている訓練の累積量とパフォーマンスの問題にちかいと思います。

 

もちろん、職人に弟子入りするなというわけではありません。寿司職人としての技術を学ぶという目的にかぎれば、数年という時間をかけて努力するより、さっさと学校などで、短期間に必要最低限の技術を習得するほうがよいのではないかということです。量というものさしではなく、質というものさしで考えるということですね。

 

ちなみに、学校を卒業した寿司職人のなかには、必要な技術を短期間で習得し、起業して成功している人もいるようです(以前ニュースで見ました)。

 

 

3.すでに持っている強みを活かす

以前、『明珠掌に在り~あなたの「強み」は当たり前なところにある~』のなかで、新しくなにかを学ぶより、すでに持っているものを活かすほうが大切であることを指摘しました。

 

数十年生きていたら、なにかしら人とは異なる強みというものがあるはずです。絵が好きとか、本を読むのが好きとか、書くことが好きとか、自転車が好きとか、子どもと話すのが好きとかなんでもいいんです。

 

ついつい、そういう強みがあるにも関わらず、新しいことに挑戦し時間を費やしてしまうことがあります。本人にとっては当たりまえすぎて、役にたたないように思えるんでしょう。

 

しかし、努力の累積量とパフォーマンスの関連が少ないことがわかったいま、闇雲に量を追いかけるのはやめて、いまもっているものを、価値あるものに変えるほうが効率がよいのではないでしょうか。

 

【資料】

(1)Deliberate practice and performance in music, games, sports, education, and professions: a meta-analysis.[PMID:24986855]

(2)K.Anders Ericsson et al.(1993).The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance. Psychological Review 100(3):363-406.

(3)Furnham A.(2003).Belief in a just world: research progress over the past decade. Personality and Individual Differences 34(5):795-817.

 

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