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    ◆ビタミンの歴史

    三大栄養素が動物の成長に必要なことはすでに19世紀からよく知られていました(1816年にマジャンディは、動物に精製物質のみを与えた結果、動物はスタミナ物質、つまり糖質、油、タンパク質のみでは健康を維持できないことを見つけています)。

     

    そして、スタミナ物質以外の物質(当時はビタミンという名称はない)も、生体で大事な役割を果たしていることがわかったのは、1906年、オランダの医師クリスチャン・アイクマンが食べ物のなかに神経症を治療する因子があることを提唱してからのことです。

    これがビタミン研究のはじまりです。

     

    1911年にアメリカの生化学者フンク(Casimir Funkが、米ぬかから強力な抗脚気物質を精製し、これをビタミンと命名しました。

     

    「生命に必要なアミン」という意味の「vitamine」からとられた言葉ですが、その後、アミンでないビタミンが大多数であることがわかり、「vitamin」と称されるようになりました。

     

    実は、1911年に日本人の鈴木梅太郎も(フンクより早い時期に)米ぬかから脚気に効く物質を取り出すことに成功しました。

     

    そして、それを「オリザニン」と名づけ、論文で発表しました。

     

    しかし、鈴木の功績は当時の日本の学界から無視されたことや論文がドイツ語に翻訳される際、「これは新しい栄養素である」という1行が訳出されなかったことなどの悲運が重なり、世界的に認知されることはなく、「オリザニン」の名は後世まで広がることはありませんでした。

     

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    ◆五大欠乏症~人類とビタミン欠乏の闘い~

    人類は長い歴史の中で、多くの欠乏症と闘ってきました。「五大欠乏症」といわれる壊血病、脚気、ペラグラ、くる病、悪性貧血が有名です。

     

    ①壊血病

    15世紀末、中世の終り頃には航海術の進歩によってヨーロッパでは大胆な航海時代を迎えることになりますが、船員たちに最も恐れられていた病気が「壊血病」でした。

     

    壊血病とはビタミンC欠乏により生じる病で、筋肉の痙攣、関節痛、食欲の減退、めまい、下痢、局部的出血、皮膚の障害などを生じ、最終的には死にいたります。

     

    ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマは、アフリカの喜望峰を迂回するインド航路を発見したことで有名ですが、1498年、1年間の航海で160人の乗船員のうち96人(60%)を壊血病で失いました。

     

    同じ探検家でも、1535年にカナダのケベック市を調査したフランスのジャック・カーターの場合は幸運でした。といいますのは、乗組員に壊血病の兆候があらわれはじめたとき、親切なインディアンが、ハリモミ(マツ科の常緑樹)の木の葉でスープをつくって飲むようにとアドバイスをしてくれたのです。そのおかげで、彼らは壊血病を免れました。

     

    壊血病にかかるのは、船乗りや都市の住民、長期間の戦争を続けている兵士などでしたが、その原因も治療法も手がかりはまったくありませんでした。

    しかし、イギリスの船医であったジェームズ・リンドは壊血病で死んだ患者が志願兵の下級船員に多く、士官クラスにわずかであったことに着目し、その差異が「食事の違い」であることに見当をつけました。そして世界初の対象比較試験を実施しますEBM発展の大きな一歩)。

     

    リンドは水兵たちを2人ずつ6組に分け、組ごとに異なる治療を施しました。また病気にかかっても普通の海軍食を続けていた水兵のグループについても観察を続けました(いわゆる対照群)。

     

     

    この実験の結果が歴然としたもので、柑橘類(オレンジ・レモン群)を摂取した船員グループはみるみるうちに元気を取り戻しました。

    こうした経緯と成果を逐一明らかにし、「すべての乗組員に果物を!」と提言したのが、1753年に発表された最初のビタミン研究書である『壊血病について』です。

     

    しかし、諸事情により、リンドの世紀の発見は壊血病を減らすことはできませんでした。

    壊血病の医学的根拠が証明されたのは、さらにのちのことでした。1907年、アクセル・ホルストとテオドルフリードッヒは、モルモットを使って壊血病を起こすことに成功し、1920年にはオレンジやレモンの果汁の成分の「抗壊血病因子」をビタミンCと命名しました。

     

    1932年にはアルバート・セントがレモン汁からの分離に成功し、化学合成によってもビタミンCがつくられるようになりました。

     

    ビタミンCは、別名「アスコルビン酸」といい、これはギリシャ語で「壊血病なし」を意味しています。

     

     

    ②脚気

    脚気は過去の病気ではなく、現代でもみられる欠乏症です。

     

    脚気は「多発神経炎」のことで、ビタミンB1欠乏によって生じます。日本で脚気が流行しはじめたのは、江戸から明治にかけてのことです。

     

    貧しい貧民たちが麦、粟、ひえなどの雑穀を主食にしていたのに対し、江戸一帯にかけては白米を主食とする習慣が広まり、これが脚気の流行を招くことになりました。

    江戸に出た農村の若者が白米を主食にして脚気になり、国元へ帰ってまた雑穀を主食にすると脚気が治っていました。

     

    そうしたことから、当時、脚気は「江戸わずらい」と呼ばれ、江戸の風土病のように思われていました。明治時代に入り、白米を主食とする習慣が広く浸透すると、脚気はさらに蔓延し、「結核と並ぶ二大国民病」をいわれました。

     

    1884年、海軍軍医であった高木兼弘は被害の大きかった海軍の食事を「白米・野菜主体の日本食」から「動物性脂肪中心の洋食」へ変更し、脚気を予防することに成功しました(376名中169名:45%→333名中4名:4%)。

     

    この疫学研究の成果は現在も欧米の栄養学の教科書にしばしば引用されるほど有名です。ビタミンB1の発見については最初に述べましたとおりです。

     

    ③ペラグラ

    日本で脚気が蔓延していた頃、イタリア・南フランス・ポルトガルではペラグラが大流行し、多くの人びとを苦しめていました。

     

    ペラグラは、「荒れた皮膚」を意味するイタリア語で、激しい皮膚炎、慢性の下痢、さらには脳障害から認知症に至るもので、ナイアシン(ニコチン酸)欠乏症のひとつです。

     

    ナイアシン(ニコチン酸)はタンパク質を含む食品に多いです。この病気は古くからトウモロコシを多食する地方に多発しました。農民たちはトウモロコシを挽いた粉を主食とし、ほかの食物を摂取できない偏った食生活が続けられたためです。

     

    1926年、アメリカのゴールドベルガーは食物に含まれるペラグラ予防因子をビタミンPPと命名しましたが、これはニコチン酸のことです。

     

    ④くる病(骨軟化症)

    くる病は紀元前からある病気といわれていますが、17世紀のロンドンの貧民街では、くる病が「英国病」といわれるほどの大流行を見せていました。

     

    くる病は、骨が軟化してやわらかくなり、背中や足が曲がってしまう病気で、その原因は、カルシウムの吸収や骨の形成に必要なビタミンDの欠乏です。

     

    ビタミンDは、日光の紫外線を浴びると皮膚で合成されるため、くる病は北欧など冬の日照時間の短いところで多発しますが、イギリスでは19世紀末の産業革命に伴う大気汚染が紫外線を遮ることで、流行に拍車をかけました。

     

    1925年、アメリカのA・ヘスらはビタミンDが紫外線の刺激を受けて皮膚で合成されることを発見し、くる病がビタミンD欠乏症であると同時に「紫外線欠乏症」であることを明らかにしています。

     

     

    ⑤悪性貧血(巨赤芽球性貧血)

    悪性貧血が医学書に登場するのは19世紀初頭のことですが、その治療法がわかったのは100年後のことです。

     

    悪性貧血の原因を探していた研究者にアメリカ人化学者のジョージ・ミノーとウィリアム・マーフィーがいます。2人は議論を続けているうちに、この病気は食物に関係があるのではないかと思いつきました。

     

    そこで、患者にさまざまな食物を食べてもらい、症状がどのように変化するかを観察しました。1926年、牛などの生のレバーを食べるとよい改善結果が得られることがわかりました。

     

    やがて2人は悪性貧血を治す物質を取り出すことに成功し、これをビタミンB12と名づけました。

     

    また、動物の肝臓に含まれる悪性貧血予防因子(造血因子)は、ホウレンソウなどに含まれることが明らかにされ、1944年に「葉酸」と命名されました。

     

    【資料】

    (1)よくわかる栄養学の基本としくみ、中屋豊、秀和システム、2009

    (2)病気知らずのビタミン学、生田哲、PHP新書、2006

    (3)ビタミン・ミネラルの本、吉川敏一、土屋書店、2009

    (4)代替医療解剖、サイモン・シン、新潮社、2013

     

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