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    忙しい人のための要約
    専門家はひとつの正解や法則にとらわれる悪いクセがあります。専門家は専門を深めるために、専門外のことを学ぶことが重要なのかもしれません。知らないことを知らない(無知の知)から脱するようにしましょう。

     

     

    ◆仏教の「空」

    太郎
    「空」に至るにはどうすればいいっすか?
    老師
    六十二見から求めればよいのじゃ。

     

    これは『維摩経(ゆいまきょう)』という仏典にでてくるワンシーンです。本当は太郎くんが文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、老師が維摩居士(ゆいまこじ)です。

     

    さて、太郎くんが老師に訊きました。

     

    「空」に至るにはどうすればいいでしょうか』と。

     

    「空」は「くう」と読み、仏教のなかで重要な概念のひとつです。初学者の私が説明することはできませんので、ひろさちやさんの『はじめての仏教』より引用しますね(改行は引用者による)。

     

    わたしは思い切って、この「空」を次のようなことばでパラフレーズ(言いかえ)したいと思っている。「差別するな」「こだわるな」

    (中略)

    一メートルの棒は七十センチメートルの棒に対しては長いが、二メートルの棒に対しては短い。したがって長い ー 短いといった関係は相対的な関係にすぎず、この世の中には絶対的に長いものもなければ短いものもない。

    (中略)

    すなわち、いっさいの存在は「空」である。長 ー 短、美 ー 醜、善 ー 悪、……といった差別は存在そのものにはない。棒そのものは「空」であって、それをわれわれがかってに長いー短いと差別しているのである。だから、そのような差別をやめよ、と教えているのが「空」の思想なのである。

     

    たとえば以下のような図形があります。錯視図形のひとつである、カニッツァの三角形をシンプルにしたものです。

     

     

    このなかに三角形はありますか?

    それとも三角形はないでしょうか?

     

    あるように思えばあるし、ないように思えばないですよね。これが「空」です。あるとかないとか無駄なこと(差別するの)はやめなさいよということです。

     

     

    ◆維摩経から見える専門性

    「空」については、なんとなくわかってもらえたのではないでしょうか。

     

    さて、太郎くんの問いに、老師は「六十二見から求めなさい」と答えます。この六十二見とは、仏教以外の見解(間違った見解、邪説とも)であるといわれています。

     

    老師は、仏教の重要な「空」という概念を身につけるためには、仏教以外のことを学びなさいと言っているのですね。

    花子
    それっておかしくない?

     

    と思った人がいるかと思います。たしかに、専門性を学びたいのに専門以外のことを学びなさいというのは矛盾しているような感じがしますね。でも、そうでもないんです。

     

    たとえば、日本の文化を知ろうと思ったら、外国に行くのがてっとり早いですよね。外国の文化を知ると、それにともなって日本の文化が浮きぼりになってきます。「○○の習慣は外国にはない、日本の文化だったんだ」という感じですね。

     

    つまり、自分の専門性を知るために、専門以外の勉強をせよ。そうすれば専門性の本質が垣間見えてくると老師は言っているのですね。

     

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    ◆蟪蛄春秋を知らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや

    Twitterで教えてもらった言葉です。

    蟪蛄(けいこ)は「蝉」、伊虫(いちゅう)は「この虫」、朱陽(しゅよう)は「夏」という意味です。

     

    「蝉というのは短命なため夏という季節の間に死んでしまうから、ほかの春や秋といった季節は知らないだろう。春や秋を知らないということは夏を知っているはずもない」といった意味です。

     

    蝉はほかの季節を知りたくても知ることができません。そういう運命なのです。

     

    しかし、人間はみずからの行動によって、際限がないくらい物事を知ることができます。専門性などといって、せまい知識を深めただけで、あぐらをかくのはもったいないのではないでしょうか。

     

     

    ◆知らないことを知るために

    2007年にVosshallらが「ハエは二酸化炭素を嗅覚で感知している」ことを発見しました(4)。もちろん人間は二酸化炭素のニオイなんて感じません。

     

    ここで重要なことがあります。

     

    どうして人は、二酸化炭素のニオイを感じないことを知ることができたのでしょうか?それはハエがニオイを感じることがわかったからです。

     

    ハエが二酸化炭素のニオイを感じているということが分かるまで、二酸化炭素にニオイがあることを知りませんでした。いや、知らないことさえ知らなかったのです。

     

    人は「知らないことを知らない」ということを、認知することができないのです。知らないことを知らないという「無知の知」みたいなことですね。

     

    しかし、知っていることが増えることによって、「知らないことそのもの」を知ることができるようになるのです。

     

    専門家はついつい狭い知識、視野になりがちです。そして、知らないことを知らないままになってしまう可能性があるのです。冒頭に述べた老師(維摩)の言葉もそういったことを包含している気がします。

     

    つまり、「専門性なんてものに囚われるな、発想を変えていろいろな可能性を探ってみよ。知らないことを知るために、専門外のことを勉強せよ」

     

    そういうことではないかと思います。

     

    専門家はひとつの正解や法則にしがみついて、それを他人に押しつけようとします。専門家の悪いクセです。気をつけたいところですね(→詳しくは「脱専門家のすすめ」も参照にしてください)。

     

    【資料】

    (1)はじめての仏教、ひろさちや、中公文庫、2001

    (2)知識ゼロからの般若心経入門、ひろさちや、幻冬舎、2009

    (3)借用文化の功罪

    (4)Two chemosensory receptors together mediate carbon dioxide detection in Drosophila.[PMID:17167414]

    (5)できない脳ほど自信過剰、池谷裕二、朝日新聞出版、2017

    (6)つっこみ力、パオロ・マッツァリーノ、ちくま新書、2007

     

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