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    忙しい人のための要約
    幸福と不幸は交互にくるようなものではなく、どのような事柄にも幸福の面、不幸の面があります。幸福ととらえるか、不幸とらえるかはその人自身の課題となります。世の中は多面的です。

     

     

    ◆プロローグ

    太郎
    オレは不幸ものっす。

    老師
    どうしたんじゃ?
    太郎
    来週、サッカーの試合があるのに足をケガして出られなくなったっす。
    花子
    練習中に足をくじいちゃったのよね。
    老師
    ゆえに、不幸だと思うのかの?
    太郎
    そうっす。はぁ~。
    花子
    落ち込まないのよ。不幸の後にはきっと幸福がくるわよ。
    老師
    少年少女よ。幸福も不幸も同じもんじゃよ。
    太郎
    なに言ってるんっすか?

    幸福はいいモノっす。不幸は悪いモノっす。

    花子
    そうよ。わけ分かんない。
    老師
    幸福のなかに不幸あり、不幸のなかに幸福あり。
    SGM
    なるほどです。

     

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    ◆幸福と不幸の行きつく先

    資料(1)より引用改編

     

    さて、上の写真を見てください。これはテニスプレーヤーの勝った時と負けた時の顔の写真です。どれが勝って喜んでいるか、負けて悔しがっているかわかりますか?

     

    これはとある論文にあった写真です(1)。この論文では、顔写真だけで、写真の人の感情を当てられるかということを実験しました。実験の結果は、顔だけではその人の心理状態を当てることはできませんでした。

     

    つまり、快(幸福)と不快(不幸)というのは、極限状態では同じ顔になるんですね(答えは一番下に書いています)。

     

    これは非常におもしろい実験だと思いました。実験の本来の意図とは異なりますが、そこにひとつの真理を垣間見た気がしたからです。

     

     

    ◆人間万事塞翁が馬の真意

    「人間万事塞翁が馬」ということわざがあります。ちなみに、人間は「にんげん」とも読みますが、「じんかん」のほうが正しいそうです。「じんかん」とは、「世間」という意味です。

     

    一般的には、「人生における幸不幸は予測しがたいもの」という意味合いで使われています。これは中国古典の「淮南子」にある話から生まれた言葉のようで、以下のようになっています。

     

    昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。

    やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。

    一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

    (故事ことわざ辞典)

     

    さて、このことわざから、「不幸もいつかは幸福に変わる」と考えるのは少し違うような気がします。これはプロローグで花子ちゃんが話していましたね。

     

    このことわざの本当の意味は、老師が言っている「幸福のなかに不幸あり、不幸のなかに幸福あり」ということだと思います。

     

     

    ◆幸福のなかに不幸、不幸のなかに幸福

    ことわざの息子は、足の骨を折ったがゆえに戦地に行かずにすみました。しかし、これは足の骨を折ったという「不幸」が、戦地に行かなくなったという「幸福」に転じたわけではありません。

     

    息子は足の骨を折ったせいで、これからずっと不自由なんです。生活にも大きな支障をきたすでしょう。不自由という「不幸」が、戦地に行かなくてもいいという「幸福」を含有していたのです。つまり、不幸のなかに幸福があったのです。

     

    逆な例もありますよね。

    有名な大企業に入社した人がいたとします。これはいわゆる幸福ですね。しかし、その人は働きすぎて過労死してしまいました。大企業入社という「幸福」のなかに、過労死という「不幸」が含有されていたわけです。つまり、幸福のなかに不幸があったのです。

     

     

    ◆万物サイコロ観

     

    この世の事物・現象は多面的です。

     

    サイコロを想像してもらったらわかると思います。1の面もあれば4の面もあります。そして、サイコロは6面だけとは限りません。上の写真にあるように、人の数だけ、現象の数だけサイコロがあるといってもいいでしょう。わたしはこれを「万物サイコロ観」と呼んでいます。

     

    さきほどの人間塞翁が馬というのも、この万物サイコロ観を表していることわざだと思います。息子が足の骨を折ったということには、不幸という面もありましたが、幸福という面もあったのです。

     

    ちなみに、この面が多いほどいわゆる深い人間といえるのかもしれません。それは、多様な価値観を認める、多面的に考えることができるということです。これは以前の記事(→脱専門家のすすめ)でも述べました。

     

    いちばん面が少ない人は、裏と表の2面しかない人ですね。こういう人は、そのまんま薄っぺらい人といえます。

     

     

    ◆発想を換える、視点を変える

    こういった発想転換、視点変化は大切です。そういったことができる人ほど、多様性や複雑性を認めることができ、いい意味で寛容になったり、人としての余裕が生まれると思います。

     

    失恋だって悲しいという不幸だけではありません。失恋によって、人間の「心のやさしさ」を知るという幸福の面もあるでしょう。

     

    世の中は幸福がきたら不幸がくる、不幸が来たら幸福がくるといったものではないのです。幸福のなかに不幸があり、不幸のなかに幸福があるのです。

     

    とどのつまりは、幸福も不幸も同じもんなんです。それをどう解釈するかは、人それぞれの課題なんでしょうね。

     

    ※最初の顔の答え:1、4、6=負け/2、3、5=勝ち

     

    【資料】

    (1)Body cues, not facial expressions, discriminate between intense positive and negative emotions.[PMID:23197536

    (2)できない脳ほど自信過剰、池谷裕一、朝日新聞出版、2017

    (3)ひろさちやのゆうゆう人生論、ひろさちや、集英社文庫、2001

     

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