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    忙しい人のための要約
    人間は利益(快楽)のために生きています。人間は理性ではなく、感情で物事を決めます。そして、人間はみんな利己主義者です。

     

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    ◆はじめに

    人の本性とはどんなものでしょうか?

     

    古代中国では性悪説性善説がいわれ、哲学者ロックは白紙説などを唱えました。

     

    性悪説と白紙説は似たようなものなんですけど、そのあたりを少しおさらいしながら、私が提唱する性利説について書いていこうと思います。

     

     

    ◆性善説とは

     

    性善説を唱えたのは儒家の孟子です。儒家というのは儒教の学者のことで、儒教というのは孔子が広めた思想のことです。ちなみに、儒教は孔子と孟子の文字をとって孔孟思想ともいわれます。

     

    さて、孟子は人間の本性を「善」だと考えていました。井戸に落ちそうな子どもがいれば無意識に助けてしまう。そういう心が人間には備わっていると考えたのです。

     

    しかし、人間は「善」であっても「賢」ではない。だから、「悪」の道にいってしまうこともあるといいます。ゆえに、人として修業しなければならない、つまり、人格を陶冶(育成)する必要があると主張しました。

     

     

    ◆性悪説と白紙説とは

    ①性悪説

    性悪説を唱えたのは荀子です。この人も儒家です。

     

    性悪説の「悪」というのは、いまの「悪」とは少し意味あいが違っています。どちらかというと「悪=弱」という感じです。つまり、人間の本性は善でも悪でもないけれど、欲望にすぐ打ち負けてしまう弱い生きものであるから、しっかりと修業(礼による教化)をしなければならないと説いたのです。

     

    性悪説は、人は環境や経験によって善にも悪にもなると考えます、つまりは環境万能論・経験第一主義の考えともいえます。

     

     

    ②白紙説

    これはイギリスの哲学者ジョン・ロックが唱えたものですが、Wikipediaから引用します。

     

    ロックの認識論によれば、われわれの心はいわば白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。

    観念の起原はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。

     

    悪説とほぼ同じことを言っているのがわかりますよね。白紙説も、後天的(環境的・経験的)なもので善にも悪にもなるということなんです。

     

     

    ◆性利説とは

    いろいろと先人たちの思想を見てきました。私は性善説でも性悪説・白紙説でもありません。

     

    人間の本性は性利説であると考えています。

     

    「利」というのは「利益」のことです。「利益」というのは「快楽」のことです。ゆえに性利説は、性快説だと言ってもかまいません。

     

    人間の本性は、「不利益(不快)を避け、利益(快楽)を求める」ということです。そこには善も悪もありません。

     

    赤ちゃんは生まれたときに、自分の快楽を満たすためだけに生きていますよね?お腹がすいたら泣くし、眠たくなっても泣きます。泣くというのは、お腹がすいた・眠たいという不利益を避け、自分の快楽を満たしてほしいということです。そこには善意も悪意もありません。

     

     

    ◆人間はみな利己主義者

    人間の本性が「不利益を避け、利益を求める」ということは、人間はみんな利己主義者ということになります。

     

    利己主義と聞くと、なんだか悪いモノみたいな感じがしますが、そんなことありません。自分が幸せになろうと努力することが、どうして悪になるのでしょうか?それは自分勝手でもなんでもなく、あたりまえのことです。

     

    人が幸せになっているのを見て、「利己主義だ!」なんて言って努力もせず、相手を引きずりおろそうとするほうが下劣だと思います。

     

     

    ◆3つの利己主義

    しかし、利己主義といってもタイプがあります。私は3つに区分できるのではないかと考えました。それが以下の3つです。

    ①犯罪的利己主義

    ②排他的利己主義

    ③互恵的利己主義

    ひとつずつ説明していきましょう。

     

    ①犯罪的利己主義

    これは行動にともない制裁が必要な利己主義ということです。

     

    たとえば、お金が欲しいという気持ちがあったとします。そのために、泥棒したり強盗したりするのはこれにあたります。

     

     

    ②排他的利己主義

    いわゆるみなさんが想像する利己主義です。自分の利益だけを優先するということですね。

     

    たとえば、電車に乗っていて混んできたとします。隣の席に他人が座ってほしくないから、自分の荷物を置いて席に座れないようにする。犯罪とまではいきませんが、不道徳ですよね。こういうのが、排他的利己主義になります。

     

     

    ③互恵的利己主義

    互恵的というのは互いに利益を与え合うこと、分かち合うことという意味です。つまり、WIN‐WIN(ウィンウィン)の関係がこの互恵的利己主義になります。

     

    たとえば、近江商人の「三方よし」なんかはこれにあたりますね(ちなみに三方よしというのは、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」のことです。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるという、近江商人の心得を説いたものといわれています)。

     

     

    ◆利他主義は到達できない境地

     

    仏教などでは悟りを開くために修業しますね。悟りというのは、いろいろな解釈があると思いますが、「損得勘定なしで生きていける(利他主義)」ともいえます。もっと言えば「無我の境地(自我がない世界)」です。

     

    でも、これは人間の本性が利己主義である以上、たどり着けない境地なんですね。ゆえに仏教では修業して、すこしでもこの境地にたどり着こうとするわけです。それを表したのが般若心経の「行深般若波羅蜜多時(ぎょうはんにゃはらみったじ)」なわけです。

     

     

    ◆慈善事業も利己主義

    人間はみんな利己主義ですよと言うと、慈善事業やボランティアは利他主義じゃないか!と反論してくる人がいます。これは誤りなんですね。

     

    経済学者である竹内靖雄は利益には「現実的(物質的)利益」と「感情的利益」というのがあるとしています。

     

     

    現実的利益とは、金銭的な利得や土地、資産などの金額であらわすことができる利益であり、名誉や地位、権力、成功なども含まれるとしています。

     

    一方の感情的利益とは、一般的ではないが、すくなくともその人には満足を与えるようなもの(義捐金・寄付・ボランティア活動などの慈善行為)であるとしています。つまり、慈善行為もれっきとした利己的行為なんですね。

     

     

    ◆福沢諭吉も感情的利益を指摘

    実は、この感情的利益については約140年前に福沢諭吉が著書『文明論之概略』で指摘していました。原文はわかりにくいので、( )に齋藤孝さんの現代語訳とともに引用しておきます。

     

    施主は富て且仁なれども、施を受る者は唯貧なるのみにて、其徳不徳はこれを知る可らず。他の人物をも詳にせずして之に交る可き理なし。

    故に救窮の仕組を盛大にするは、普く人間交際に行はる可き事柄に非ず。唯仁者が余財を散じて徳義の心を私に慰るのみのことなり。施主の本意は人のためにするに非ず、自からためにすることなれば、固より称す可き美事なれども…

    (施す側は、富んでいて、さらに思いやりがあるが、施しを受ける側は、貧乏なのは確実として、その徳不徳はわからない。相手がどんな人間かもわからないのに、親しく交際するという道理はない。

    したがって、困窮している人を救う仕組みを盛んにするのは、広く社会に行えることではない。これはただ、思いやりのある人間が、余った財産を投じて自分自身の慈善の心を満足させるだけの行為である。施す側も他人のためにやっているのではなく、自分の満足のためにやっていることだ。もちろん賞賛すべきことではある)。

     

    さすがの福沢諭吉です。ちなみにTwitterでアンケートしたところ、7割近い人が福沢諭吉の著書を読んでいないということでした(調査人数は少ないけど)。わが国の1万円札の紙面に選ばれるくらいの偉大な人ですから、ぜひ読んでもらいたいですね。

     

     

     

    ◆感情的利益は脳科学でも実証

    感情的利益は机上の空論ではありません。

     

    2007年の報告では、他人に対して寄付行為をすると、快感を感じる核心部分である側坐核が活発化したのが確認されています(6)。つまり、寄付行為によって利益(快感)が生まれたということです。

     

     

    ◆人間は快・不快で決める

    神経学者にアントニオ・ダマシオさんという非常に著名な人がいます。ソマティック・マーカー仮説というものを提唱した人なんですが、彼の実験でこのようなものがあります。

     

    事故や手術のために感情を司る脳の部位(前頭前野)を損傷した患者は、それ以外の論理や計算、注意力や言語、記憶といった理性的・知的能力には支障がないにもかかわらず、行動や意志の適切な決定ができなくなる。

    知能テストや人格検査など「机上の問題」では正常な答えを出せるのに、実際の行動はめちゃくちゃになる。朝起きて仕事に行くまでいちいち指示がないと準備ができず、仕事をするにも時間の管理や配分ができない。同じことをしつこくやり続けたり、その瞬間に興味を覚えたことだけに没頭したりする。(中略)

    もちろん、対人的・社会的な行動もおかしくなり、人の言うことを聞かず、場当たり的に振る舞い、礼儀や他人への配慮がなくなる。

     進化倫理学入門』

     

    快・不快などの快楽感情(=利益)を感じることができなくなると、これほど大きな障害になるのです。性利説はたんなる本性を表しただけではなく、人間が人間らしくあるための大切なことも包含しているのです。

     

     

    ◆性利説的人間観(自然の摂理)

    性利説から人間というものをみると、いろいろなことが解釈できるようになります(以下は日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんの「人間いいかげん史観」を参考にしています)。

     

    まず「正しくて不快なこと」より「正しくないけど気持ちいい」を選ぶということ。

     

    国会議員やタレント、いわんや一般の人までどうしてあの人が?というニュースがありますね。あれも性利説的人間観でいえば、とくに違和感はないのです。人間は正しくないけど気持ちいいことをする生き物なんです。人は理性ではなく感情で判断するのです。

     

    また、人間は「難しいこと・苦しいこと」ではなく「簡単なこと・楽しいこと」を選びます。

     

    これも自然の摂理なんですね。難しいことに快楽を感じる人は少ないでしょう。大半の人は簡単なことを好みます。ゆえに、難しいことに挑戦してこそ人間だとか、努力してこそ人間だというのは自然の摂理から反しています。

     

    こんなことしてたら、そりゃストレスで過労死やら精神疾患にもかかります。だって、生物としておかしなことをしてるわけですからね。

     

     

    ◆まとめ

    とくにまとめはありませんが、人間というのは自分の利益のために生きています。そして、ほかの人も同じです。自分の利益と他人の利益は違うということを意識する必要があります。自分の利益と他人の利益が同じと考えるのは、多様性を否定し、全体主義的な発想の第一歩です。

     

    人間は、自分の利益のためなら努力もしませんし、いいかげんなこともするし、間抜けなこともします。ゆえに人間は面白いのかもしれません。

     

    以上です(笑)

     

    【資料】

    (1)人物50人で読む「中国の思想」、鍾清漢、PHP文庫、2005

    (2)ジョン・ロック(Wikipedia)

    (3)知識ゼロからの般若心経入門、ひろさちや、幻冬舎、2009

    (4)「日本人らしさ」と何か、竹内靖雄、PHP文庫、2000

    (5)現代語訳文明論之概略、福沢諭吉(齋藤孝訳)、ちくま文庫、2013

    (6)Neural responses to taxation and voluntary giving reveal motives for charitable donations.[PMID:17569866]

    (7)快感回路、デイヴィッド・J・リンデン(岩坂彰訳)、河出書房新社、2014

    (8)進化倫理学入門、内藤淳、光文社新書、2009

     

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